残ったのは月と



















太古の刻


 ふと、水滴が落ちたような音がした。

 荒野の乾いた大地に、淡い影が浮かぶ。
 その影を描く球は突如肥大化し、人の形――ヒカリとソラの姿を顕現させた。

 ゆっくりと瞼を持ち上げ、その景色を確かめるようにして数瞬後、ヒカリはその目を見開いた。

 草ひとつ生えない赤茶けた硬い土。
 舞い上がる土埃。
 煤けた空。
 そして、もう人の使うことの出来ない林立したビルの残骸。

 その光景は、今までいた時代からすれば異様で……しかし、彼女にとってはどこか奇妙に懐かしい景色だった。

「――ここ、は……」

 ヒカリは、引きつったような声をあげる。
 その風景は、彼女たちの故郷……
 30世紀という時代の世界によく似ていた。

「どういう、こと? 私たち還ってきたの?」

 混乱した様子のヒカリは、呆然としながら、うわごとの様に言葉を重ねる。
 確かに過去に向かったはずだ。……その感触は確かなものだった。
 それなのに、この景色は何だ。

 自分の能力が衰えた――その可能性に、ヒカリの体は恐怖で震えた。

「いや、違う」

 蒼白になったヒカリを目の端にとらえて、ソラは断ずるように低い声を放つ。

 二人の力は、時空を移動できても、場所はそれほど遠くまで移動することは出来ない。
 そして、彼らの生きてきた30世紀という時代は、それでも人が生きていた。
 ――見回す景色。
 確かに30世紀に雰囲気は似ている。
 だが、そこには人のいた気配がしない。
 何より……

「違うって……だって、この景色は……」
「似てるけど違う。ほら、上見てみろ。――空が紅い」

 紅い空。
 夕日ではない、その有り得ない色。
 澄んだ光は降ってくるのに、どこか機械的な印象さえ受ける、その危険色。

「な、に、これ……」
「さあな。ただ言えるのは、この時代は異常気象だって事と……ここは俺たちの故郷じゃない、って事かな」

 ソラは重く息を吐くと、ガリ、と頭を掻いた。

「とりあえず、過去、ではあると思うよ、俺は……根拠はないけど」

 苦笑気味にそういうソラを見て、ヒカリはようやく応えるように苦笑を零した。

 ――と、どこからか人の会話する声が聞こえた。
 二人は顔を見合わせると、それが空耳ではなかったことを確認する。

「……誰、だと思う?」
「知るかよ。ここが何時かもわからねえのに」

 行ってみよう、と促すソラに、ヒカリが従う。

 コンクリートの残骸の、赤みがかった影を伝いながら、声を頼りに進む。
 その声の主はそれほど遠くにはいなかった。

 柔らかな白の服を着た女が、地面に崩れ落ちるように臥せった刹那だった。
 長く、艶やかな黒髪がばらばらと地を這い、その女は泣いているようだった。
 その向かい側に、呆然と見下ろすように男が立っていた。
 栗色の癖のある髪を、クシャ、とかき混ぜる。
 その表情は窺えないが、――彼もまた、泣いているように見えた。

「――ヒカリ」

 ぼそり、といった風情で、男が呟く。
 瞬間、ヒカリの肩が跳ねた。
 ソラがその肩を強く抱いていなければ、声を上げていたかもしれなかった。
 ヒカリは、その手を握り返す。
「ヒカリ、これでこの世界には俺たちしかいなくなった……どうする。この世界、この星を、まだ生かしておくか……?」

 女が、その声に誘われるように顔を上げた。
 ヒカリ、という名は、彼女のものでもあるらしかった。

 こちらに背を向けた彼女の顔は見えない。
 ただ、その背中が、哀しみで戦慄いているのは見て取れる。
 震える足を叱咤するように、彼女は立ち上がり、彼の前に立った。
 流れているだろう涙を払う仕草もない。

「私は……滅びを選ぶわ。何もない……何もなくなってしまったのよ……」

 不意に声が震え、彼から顔を背けるように後ろを――ソラとヒカリがいる方向に、彼女は振り返った。
 その顔を見て、二人は息を飲んだ。
 その顔――その姿は、ヒカリの姿に瓜二つであった。

 口元を押さえ、嗚咽を堪えると、再び彼女は彼の方に向き直る。
 落ち着いたのか、息を吐くと彼女は彼の服の袖元を掴む。
 甘えるようなその仕草に、彼は彼女を胸に引き寄せた。
 されるままに彼女が擦り寄ると、再び口を開く

「ソラ、は、どうしたいの……」

 ヒカリの肩に乗った手が、ビクリ、と反応する。
 今、確かに彼らは名を呼び合った。
 ヒカリ、ソラ、と……

「俺も、滅びを選ぶよ。もう、俺たちを待っていてくれた人も、この世界を変えていく力も――生きていく気力も失くしてしまった」

 ぐ、と、その腕に力をこめたように見えた。
 ソラ、という名の男は続ける。

「お前となら、一緒に消えても良いよ、俺は」

 男の言葉に、彼女は顔をあげる。
 その顔に、彼はそっと口付けを降らせる。
 涙に震える女は、縋りつくようにその口付けを受けると、次の瞬間には覚悟を決めたようにするりと腕から逃れた。
 表情をなくした女は、無感動にその両腕を地に掲げた。

「水を湛える蒼き円」

 足元に水鏡が現れる。
 その正面に立った男もまた、腕を掲げる。

「生きる力を彩る星」

 水鏡の中に映り込むダヴィデの星。
 その紋様は、ヒカリとソラのそれ、そのままであった。

 沸き起こる球体。
 水で出来たようなそれは、やはり見覚えのあるそれ。
 その球体の中に何か、紅い菱形の結晶のようなものが現れる。
 それは光を受け、キラリと光る。

 二人は、互いを求めるようにその球体の中へと手を伸ばす。
 紅い結晶を握りこむように手を掴みあう頃には、彼らの肩まで球体の中に納まっていた。

「―――――――っ!!!」

 それに呼び寄せられるように爆風が起きる。
 息が出来ないほどの風圧。
 自分の涙が飛び散る感覚、叫びだしたくなる、衝動。

 呑まれる感覚の中、ヒカリは自分が何を叫んだのかわからなかった。
 ――そこで、彼女の意識は途絶えた。



読み返したらあんまりな進み具合だったので打ち込むに当たり結構改変。
線路は続くよどこまでもー


2006.6.4


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