残ったのは月と



















彷徨う世界


 アスファルトの道路に、二人の靴音が響く。
 硬質なその音は、何処かに反響して、その空虚な空間をさらに冷たい印象に変える。

 ――誰もいない。

 チラ、と見えた重なる光の気配に、ソラがハッとしてヒカリの手を引いた。

「危ない!」

 勢いづいたヒカリの体が、ソラの胸に収まる。
 ぐ、と力強く抱きしめられると、ヒカリの心臓が一瞬脈を速めた。
 ――そのすぐ傍を、轟音を立てて大型の車両が通り過ぎていった。
 後には、取り残されたように静寂が戻ってくる。

「ちょ、っと、痛いよ、ソラ」
「トラック……?」

 ヒカリをきつく拘束したまま、ソラが呟いた。
 握られる手首の痛みにもがいていたヒカリが、その言葉に気取られて動きを止める。

「え?」
「ここ……何時だ?」

 不審げにソラは辺りを見回す。
 冷たいコンクリートの臭い。雨が降ったのか、濡れた土の匂いが微かにした。
 暗闇のなか、得られる情報はそれだけだった。

「30世紀……の、私たちの故郷、じゃないの?」
「お前、忘れてるだろ。ガソリン車なんて前時代的で燃料もすこぶる食う移動手段、俺たちの時代にはなかったじゃないか。 使われていたのなんて精々俺たちがいた21世紀前後……」
「あ、そっか。じゃあさ、私たちが過去である21世紀に行った所為で、歴史が変わっちゃったとか?」
「馬鹿、俺たちそんな技術的なこと何にも関われなかったじゃないか。それより、考えられるのは……」

 そこまで言うとソラは、握りしめていた手がヒカリを戒めていたことに気付いて、ふと力を抜いた。
 ようやく開放されたが、未だ痛みが残る手首をさすりながら、ヒカリは先を促す。

「いいから、何?」
「あ、うん……考えられるのは、俺たちが21世紀から出られてない、ってことじゃないのかな」

 ソラの言葉に、ヒカリは一瞬呆けた顔になる。
 すぐにその顔から表情が抜け落ちると、厳しい口調で否定した。

「ありえないわ!」

 ヒカリは、まるでソラを睨みつけているようにまっすぐに視線を遣ったまま、続ける。

「ソラだって、私たちが『道』に入った手ごたえ、感じたでしょ? 息をするように出来ていたことが、今更出来なくなったなんてこと……」
「うん、そう思うのは分かるけどね。でも、ソアラーだって突然動かなくなっただろ? そういうことはありえないことではないよ」

 ソラは闇の端を見つけて手を伸ばす。
 ようやく慣れてきた目であたりを見ると、どうやらトンネルの中らしかった。
 延した手がトンネルの冷たい壁につくと、ソラはそれに寄りかかる。

「道には確かに乗った。それは俺も感じたよ。でも、その道に何か……立ちふさがるようなものがあったような気がした。感じなかったか?」
「……別に」

 ふてくされてそっけない返答をするヒカリに、ソラは微かに笑う。
 ヒカリの頭にポン、と手を遣ると、ヒカリはぷい、とそっぽを向いた。

「ソアラーが動かなくなった理由も、アレと同じなんじゃないかと、俺は思う。それは?」
「ソラが言うんならそうなんじゃない?」
「お前の意見を聞いてるの」

 ソラはヒカリの頬を両手で挟むと、上を向かせる。
 抗うわけでもなくされるままにするヒカリは、それでもソラから視線を外していた。

「別に、私の意見なんて聞かなくていいでしょ。ソラがそういうんだから、私もそうだと思うよ」

 ソラはその様子に一つ息をついて、仕方ないな、と言う風情で肩をすくめる。

「わかった、それでいいことにしとく。で、それを踏まえてどうしようか」
「どうする、って?」
「もう一度試そうか、それとも時期を改めるか……逆を行ってみるか、ってこと」

 ニヤリと笑うソラに、ヒカリは怪訝な顔をした。

「逆、って何?」
「逆だよ。未来じゃなくて、過去に移動してみるか、ってこと」
「一応聞くけど、何のために?」

 冷ややかなヒカリの反応に、ソラは笑って応える。

「なんとなく、かな?」
「……ああ、そう」

 脱力したヒカリを余所に、ソラは続ける。

「だってさ、押して駄目なら引いてみろ、って言うだろ?俺たちがこっちに来る時も何の問題もなかったんだからさ、 道に弁みたいなものがついていて、未来から過去へは行けるけど、過去から未来への道は閉じられてる、ってこと、可能性としてないかな、と思ったんだけど」
「根拠は」
「ないね」

 ニコニコと能天気な笑みを零すソラ。
 呆れつつも、ヒカリは言葉を続けた。

「ソアラーがこっちにこれなくなったのは何でよ」
「質量の問題なんじゃないかな。弁って言っても道自体は狭まってる感じだろうし。ああ、これも根拠はないけど」
「だと思った」

 ヒカリはソラの言葉を、いつものことだと流すことに決めたらしい。
 ソラから体を離すと、おもむろに両手を闇に捧げる。




「水を湛える蒼き円」




 ヒカリが囁くようにその言葉を口にすると、足元に光が現れた。
 海のような蒼さのそれには、水が張っている様に僅かに揺らいだ光を見せた。
 これが、彼女の持つ力の一つ、未来を見せる『水鏡』であった。
 それを見たソラは、驚いたように瞠目した。

「いいのか?」
「いいも何も、あんたが言ったんでしょーが」
「まあそうなんだけど……その気になるとは思わなかったから」
「なによ。ならやめる?」

 ヒカリが再び睨むような視線を送ると、ソラは力なく笑った。

「俺の言葉に根拠はない、って断っておいたからな」
「わかってるよ! ……ここにとどまってたってしょうがないじゃない。力がなくなってないかを確かめるだけでもしないと気になってしょうがないし」

 ヒカリの顔に一瞬影が落ちる。
 ヒカリは、自分の力に恨みのような感情を抱いている。
 そのコンプレックスに耐えるために、彼女の力に対するプライドは高い。
 その危うさを、ソラも知っているから、あえてソラは笑った。

「そうだな、力がどうなったか、くらいはわかるかもな。試してみる価値はある、と……」

 ゆっくりと歩みを進め、ソラはヒカリの正面に立つ。
 そして、先ほどのヒカリ同様空間に両手を広げた。




「生きる力を彩る星」




 溜め息のようなその声に反応するように、ヒカリの『水鏡』のなかに星の図形が浮かび上がる。
 正三角形を重ね合わせたその図形は、かつてダヴィデの星と呼ばれた図形である。
 この図形が、ソラの力、『グラビティ』を示す。

 図形が重なると、その蒼い円から水に満ちた球体が浮かび上がった。
 始めは握りこぶし程度の大きさしかなかったそれが、見る見るうちに大きく膨れ上がり、二人の体を飲み込むまでになる。
 やがて、二人の体を残らず総てを飲み込むと、一瞬にしてその球体は圧縮されたように小さくなる。


 そして、その場には何もなかったような冷たい空間だけが残された。




こんなペースでは何時終わるかしれませんね……(笑)
一章のエピソード1がやっとこさ終わりです。
まだ十分の一も行ってない……


2005.5.5


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