残ったのは月と



















ソラとヒカリ


 高層マンションの一室に、けたたましい電話の音が響いていた。
 雲の上といっても過言ではないようなその部屋だが、しかしその日は雲ひとつない快晴。
 夏も終わろうとしている1999年、世紀末のある日。
 ノストラダムスの大予言も大きく外れた、ただの穏やかな昼下がりだ。

 ふと、その電子音が止まる。
 ガチャッ、と音がすると、セットしてあるカセットがゆっくりと回り始めた。
 機械で人工的に合成された声が、一途にも家主の不在を知らせる。

『只今、留守にしております。メッセージのある方は、ピーッという発信音の後にご用件をお話ください』
 ピーッ

「ちょおおおおおっとおお!! いつまで待たせる気ィ!? あたしを呼び出したのそっちでしょうが! 居留守使ってもいいけど、いい加減約束破るのやめてよね!!」

 切り裂くような甲高い声が、電話の向こうから喚きたてた。
 シャワーを浴びていた家主、ソラが、濡れた髪をタオルで拭きながらその声を聞いていた。
 やる気のなさそうなヘイゼル・アイ
 濡れた髪はも、柔らかなライトブラウンをしている。
 だるそうに溜め息をつくと、吐息と共に思わずといった風情で声が出る。
「ヒカリじゃん」
 そのまま、思い出すように天井を見上げる。
「約束ってなんだっけ」



「遅い!!」
 先刻の電話の主、ヒカリがソラに怒鳴る。
 長い黒髪をひとつに束ね、白を基調にした服を好んで着る彼女は今日はロングスカートを履いている。
 腰に手を当てた顔は険悪で、その神聖さを打ち消してしまっている。

 彼女は、『自分たちがいた時代』での、シャーマンである。
 その当時は、無口で冷静で、氷のような鋭さを持っていたものだが、今となっては跡形もない。
 そのことに内心苦笑しつつ、ソラは思っていた疑問を口にした。

「約束なんていつしたっけ?」

 その言葉を聞くと、今までの怒りが突き抜けてしまったように、ヒカリの表情から力が抜けていく。
 呆れ顔、というのがそれに相応しい表現だった。

「ちょっと、ちょっとちょっと、あんたが今日にしようって言ったんでしょ、『帰る日』」
「あれ、今日だっけ」
「今日よ! 今日なの! じゃなきゃ会おうなんて言わないの!」
「悪かったよ」

 ソラが素直に謝ると、ヒカリもそれ以上の言うのを諦めたのか、ふと笑みを零す。
 今までの高揚が嘘の様に、穏やかに空の頬に手を延べる。

「すっかりこっちに馴染んだね、ソラ」
 久しぶり、といって、笑みを深める。
 何処か泣きそうな風情なのは、気付かないフリをする。
「ヒカリこそ。こっちに来て、綺麗になったね」
 恥ずかしげもなくソラは言うと、風に靡いたヒカリの髪を掬い上げた。
 馬鹿、と呟きつつ、ヒカリはその手を離す。
 枯れてもいない木の葉がひらりと舞ったとき、不自然な陽炎が沸き立った。
 一瞬の空間の歪みののち、葉が地面にパサリと落ちる。
 二人の姿は、もうそこにはなかった。



 『彼らの時代』――それは、30世紀である。
 彼らは、30世紀に生まれ育ったが、時代は確実に崩壊へと向かっていた。
 世界中の河は枯れ、海はその膨大な水を失い、地は荒れ、備蓄している食料を細々と食べて暮らしていくしかない状況。
 そして、その生活もやがて限界を迎えようとしていた。

 ソラとヒカリは、そんな中突然変異とでも言えるような力を持って生まれてきた。
 時空をも変化させることの出来る力。
 世界の絶対の秩序さえも越えてしまう力は、畏怖され、同時に人々に恩恵をもたらすものと思われていた。
 その力を利用した、「ソアラー」という箱舟が人々の手によって作られていたが、それは突如としてその機能を果たさなくなって久しかった。
 宇宙への逃亡は物資の問題でままならず、別の時空へ逃亡しようとしていた者たちは、最後の希望を絶たれた。

 そこで駆り出されたのがソラたちであった。

 彼らの仕事。
 それは、世界が崩壊へと進み始めた20世紀で、何らかの変化をもたらすことであった。
 その手段を探るべく、二人は20世紀の最後の時間を生きていたのだ。


 二人は対の人間であった。
 一対でなければ発動されない時空間の移動。
 現れる魔方陣のような印。
 禁忌とも思える時空への干渉は、人を救うためのものには、思えなかったけれど。




短いけどとりあえずここまで…
ソラがタラシっぽいのは私の趣味です(笑)


2005.11.19


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