残ったのは月と



















蒼い幻影


 誰かに呼ばれたような気がして、ヒカリは目を開いた。
 しかし、目の前に広がったのは、瞼を閉じている時と同じ、暗闇だった。

 ――懐かしい夢を見た。

 あの後、ヒカリとソラの力の融合――力を使う時に現れる紋様が重なり合い、新たな力になることがわかった。
 それは、長老の予言通りと言って良かった。

 総てを凌駕する力……時を変える力。

 もともとのソラの力は、任意の対象の時を自在に操る力であった。
 時の引力を歪める力――ソラはその力を『グラビティ』と呼んだ。

 ヒカリの先見の力、『水鏡』との融合で、二人は時を駆けることを可能にした。
 その力を元に、『ソアラー』という、時空移民方の箱舟を作ることにも成功したが、移動することが出来たのは一度きりだった。
 その所為で、彼らの故郷、30世紀の時代生き残った人々の運命を握るのは、ソラとヒカリの二人だとされた。

 力がある者は、他の者を救うのが当然。
 その教義という名の強迫観念に突き動かされて、ヒカリは力を使い続けてきた。

 だからこそ、ヒカリにとってこの力は、人に必要とされる条件だと思ってきた。
 ヒカリにとって、この力こそが総て。
 その空虚さに打ちのめされたような気がして、暗闇しか映らない瞳を、再び閉じようとする。

 ヒカリ、と、再び呼ばれた気がして、やっと意識が覚醒する。
 その声の主に肩を抱かれた気がして、その腕を掴んだ。

「ヒカリ」
「ソ、ラ?」

 穏やかな、変わらないソラの眼差しがヒカリを覗き込んでいた。
 夢の中のソラの姿を思い出し、一瞬怯えたような顔になるが、すぐに消える。

 それには気づかない振りをして、ソラはヒカリの頬に手を当てる。
 眦をなぞられて、涙が溢れ出していたことに気がついた。

「怖い夢でも見た?」
「……う、ん……婆様が、生きてた頃の夢……」

 あれから時を待たずに、長老は息を引き取った。
 亡骸は穢れとされているため、ヒカリは見ることを許されなかった。
 最後に見たのは、彼女が焼かれる炎と煙。
 灰になった彼女にも、触れることすら出来なかった。

 老衰、と聞いた。
 ヒカリのための予言を終えて、役目を果たしたからだ、と誰かが言った。

「……そ、か」

 ソラが何かを察したのか、泣きそうな顔で微笑む。
 ヒカリは手を伸ばすと、ソラの頬に手を添えて、大丈夫、というようにやさしく笑んだ。

 ふと、その指先が見えることに違和感を覚える。
 周りは暗闇で光源が全くといって良いほどない。
 身を起こすとそこには、地面も空もなかった。

「ここ……どこ?」

 周りを見回すと、ちらちらと星が見える。
 ヒカリたちのいる場は、二人が時を移動する時に現れるあの球体の中にあった。

 目の前には、暗闇の中にぼんやりと浮かびあがって来る球体があるようだった。
 その背後から、緩やかにせりあがってくる光。
 ――黎明の瞬間だった。

 光は、蒼い球体を二人の前に晒した。
 その球体こそ、地球であった。


「――21世紀で、地球を写した写真、見たか?」
「うん、よく行く図書館に貼ってあったから……でも、あれは」

 写真には光があった。
 地上の光――つまり、電気による光だった。
 しかし、目の前にある星には一切の光がない。

 蒼く光る海、白く渦を巻く雲は過去における写真と同じだが、人が生きていることを示す光が、ひとつもなかった。

 きっと、あの蒼い海には、今はひとつの生命も存在していない。
 紫外線によって総ての生き物が息絶えてしまった。

 よく見ると、木々の緑もない。
 白く積もる灰の地面。
 環境破壊や戦争で焼き払われた土地。
 いつまでも舞い上がる毒素を含むスモッグが、雲の間に灰色の影を示していた。

 人が住めない最後の土地。
 ヒカリは、この景色が自分たちがいた30世紀の世界の物だと直感していた。

「あれは、人が住んでいる星じゃない、な」
「……うん」

 苦く笑うソラに、ヒカリも同意する。
 そう、あの土地は人が住める土地ではない。
 それでも、彼らは生きると決めたのだ。

「それでも、綺麗……だよ」

 愛しげに指を伸ばすヒカリに、蒼い光はやさしく降り注ぐ。

 彼女の指が薄い膜に触れた瞬間、そこから波紋が生まれた。
 ふと、その膜に映りこんだヒカリの手の幻影から、白い手が生えてきた。

「ヒカリ!」
「やっ、何!?」

 その手に驚いたソラはヒカリの肩を強く引き寄せた。
 それに驚いてか、ヒカリは声を上げる。

 生まれてきた白い手はそのまま体までこちらに出てこようとしていた。
 手から腕、腕から肩、そして、そのかんばせが見えたとき、ヒカリの背筋が僅かに粟立つ。

 美しい顔だった。

 白く、整いすぎた顔。
 能面のように、その顔には表情がない。
 うつむいている所為でやや気だるげに見えるその視線をヒカリに向ける。
 次の瞬間にその体は球体の中に完全に顕現していた。

 ゆるく伸ばす腕。
 それは宙を抱くように弧を描き、ヒカリとソラの頬を撫でた。
 二人は動くことが出来ない。

「……あ、なた、何……?」

 最初に声をあげたのはヒカリだった。
 能面のその人の姿をした『何か』は、表情を変えることなくヒカリを見つめる。

 髪は深い蒼の色。その色は足元に届くほどに長い。
 瞳もまた蒼く、肌は人の物とは到底思えぬほど白い。
 触れれば冷たいのではないかと想像したが、柔らかく頬を撫でる指の感覚は――存在しなかった。

 身にまとう衣はも白く、どこからが体でどこからが衣服なのかがわからない。
 ただ、長い布を体に巻きつけているようだ、とは判断できた。

 チリ、と奇妙な音が耳元でした。
 その刹那、俯いてい美しいだけの顔が、ス、とあげる。

「ヒカリ、と、ソラ……か」

 唇を動かした様子もなく、その顔が呟く。
 声はまるで、海の波音を思い出させる。
 フイ、と手を下ろすと、その人の形をした『何か』は静かに瞬いた。

「私には名はない。あるものは『テラ』と呼び、あるものは『神』と呼ぶ」
「神……様?」

 御伽噺にしか出てこないようなその名に、ヒカリは咽喉を引きつらせた。
 しかしその疑問に対し、無表情の白と蒼の色はややあって首を振った。

「お前が想像するような存在ではない。私はこの『星』を司るものだ」

 フイ、と視線をそらすように、『それ』は蒼い星を見遣った。

「私はこの『星』そのものだ。――『星』には各々、私のような『意志』のようなものが存在する」

 ああ、と、何かに反応するように『それ』は振り返り、ヒカリの瞳を見る。
 彼女の中に沸き起こった疑問に答えるかのように、『それ』は続けた。

「我らはこの与えられた身に降りかかる災いを振り払いながら生きていく。そういう意味では『抗体』と言ってもいいだろうな」

 ヒカリは目を見開いた。
 『それ』は、相変わらず気にした様子も見せずにまっすぐヒカリの顔を覗き込む。

「結果、それがお前たちの言う『神の御業』というものであるのだとしたら……あるいはお前たちの言う『神』であるのかもしれない」

 太陽が大いなる光を零す。
 後光が差すような『それ』の姿は、やはり言うように『神』のようであった。

「しかし、ヒトの住むこの星は変化が大きすぎた。私には制御し切れなかった。――ゆえに、やがて私の意識は閉じ、この『星』は終焉を迎える。」
「終焉……?」

 『それ』がなんでもないようにさらりと言った言葉にソラがやっと声を上げた。
 この星の終焉……それは……

「そうだ。私の仕事はもうすぐ終わり、私の意志は閉じる。しかし、まだ生きる命がある――私は緊急の措置として、私に代わるこの『星』の意思を作り上げた……それがお前たちだ」
「……え……」

 表情を変えない『それ』が発する言葉は、どれも当然のことを言っているような気になるが、すべてが理解を超えていた。
 言われた言葉を理解できずに、二人は『それ』を前にしたまま固まってしまった。

「……ちょ、ちょっとまて、意味がわからない」

 珍しく取り乱したソラが、『それ』を制した。
 『それ』は、おとなしくソラに視線を向ける。

「私はもうすぐこの『星』を守護する役目を終える。しかし、まだ地上には生きるものがある。だから――」
「俺たちがその役目を果たすって?」

 遮るように苛立たしげな声を出したソラを、それでも無表情のままの『それ』は答える。

「そうだ。お前は正確に理解している」

 そう答える『神』は、何処か間抜けにも見えた。
 ガシガシと髪をかき混ぜると、 尚も苛立たしげにソラは言う。

「馬鹿言うな、俺たちはたかが人間だぞ。そんなわけのわからない仕事できるかよ」
「拒否は不可だ。滅び行くこの地においてお前たちにしか出来ない。また、そう予定したのは我々の上位の意思による」

「……上位の意思?」

 不可解な言葉にヒカリが反応すると、『それ』は再びヒカリを見る。

「我々の行動を決定付ける者は、我々の上位にある意思だ。我々はその意思に従う。我々はそのシステムの上に存在する。抗う事はできない」
「……運命、ってこと?」
「何とでも呼べばよい。疑問は解消したか?」

 『それ』はヒカリを見るが、ヒカリは釈然としない様子で曖昧に頷いた。
 ソラはその言葉にも見向きもしない。
 たいしてそれを気にした様子もなく、『それ』は続けた。

「考えても思考の及ばないことはある。お前たちはこの星の行く末を決めることを預けられただけだ。どちらにしてもいずれは滅ぶ。それを早めるか引き伸ばすかだけだ」

 ふと、『それ』の姿が消える。
 掻き消えたようなその残像に、ソラははっとしたように目を見開いた。

(――? ホログラム?)

 ソラが呟いたような気がしてヒカリは振り向いたが、ソラはそれには反応しなかった。
 声だけが続ける。

「過去を見ただろう。あれは過去のお前たちだ。彼らは滅びを選んだ。ゆえにあの星は滅び、その星屑を元に新たな星が作られた。滅びと再生は同じだ。お前たちが何を選ぼうと、それはさしたる問題ではない」
「ちょ……なんだよそれ!」
「納得がいかないというのであれば、お前たちに命題を与えよう。それを見つけることが出来たなら、お前たちの答えも出るかもしれない」

 球体の中が暗くなっていく。
 細いけれども鋭い光が、彼らの体を痛みのように貫いた。

「人々が戦い、争い、いがみ合い、求め続けたもの――それが、何なのか」

 幾年もの距離を越え、たどり着いた光。
 この星の総てに、意思が宿っている――そう聞いただけで、その光がヒカリたちを揶揄する視線にも思える。

「私を作った誰かが、それを私に問うたが、結局出なかった答えだ――お前たちにはわかるか?」
「……ッくそ! そんなもんわかるわけねえだろ! そんなのは――」

 ぐらりと世界が揺らめき、ヒカリは両肩に圧力のようなものを感じていた。
 縋るようにソラの手を掴むが、ソラもまたその圧力を感じているようだった。

「お前、答えがないことを知ってるんだろう! それがお前らのやり口か!」

 苦痛とも苛立ちともわからない感情で歪むソラの顔に、ヒカリは苦笑する。

(まるで、前に戻ったみたいだね……ソラ)



「地球の意思を委譲する」


 機械的な声を耳に捉えながら、ヒカリはソラの肩越しに、くすんでいく星の光を見ていた。







図らずも紋様がダヴィデの星を円で囲んだ形で、ダ・ヴィンチ・コードと被るんですよね……(笑)
この章は終わりです。まださわり?(え)

あーもう長い!!

2006.6.25


<back  top  next>
close