infinity








・運命が人生の扉を叩く・

「リラ!! リラ!! 返事をしろ! リラ!!」

オアシスの淵で、リュウヤがリラの頬を叩く。

「リュ…リュウヤ……」

呆然としたまま、スフィアが呼びかける。
リュウヤはそれに反応しない。
絶望にも似た表情で、必死にリラを起こそうとしている。

スフィアは自分の手を、そして、その手が起こしたことの結果を、信じられないような瞳で見ていた。
笑えるほどに、彼女の身体は震えていた。
彼女の頭の中には、収まりきらないほどの後悔と恐怖が沸き起こっていた。
その感情こそ、スフィアの本来の自我であった。

しかし、彼女の体の中で、彼女の自我よりも濃い血が彼女を支配しようとしていた。

その血は、リリスの物。

リリスの血は、スフィアの心を冷やしてゆき、そして、本能としての魔性を呼び覚ます。

―――スフィアの中に、ある種の快感が沸き起こった。

(ソノカオガ ミタカッタ…)



「仕方ない、人工呼吸しか……」

リュウヤのその声に、スフィアはハッとした。
口づけにも似た、その行為…。
…スフィアは辛うじて、目を逸らすことに成功した。

「ごほっ……はぁっ……」

何度目かのその行為の後、気を失ったままでありながらも、リラは息を吹き返した。

リュウヤはほっとしたように息をつき、スフィアは座り込んだ。

「よかった…」

その言葉に、リュウヤはスフィアを振り返った。
怒るでもなく、スフィアを見つめる。
スフィアはその間、身じろぎも許されなかった。






・世界を持つ者・

パンドラは、闇の中で火を灯した。
少しだけ、視界が広がる。
暗闇の向こうに、もうひとつ小さな扉があった。

金庫と思しきそれには、封印がされてある。
東洋の呪術のようだ。
長方形の紙に、確か梵字と呼ばれる文字が、毛筆で書いてあった。
パンドラは、それに火を近づける。

しかし、その紙に火は燃え移らなかった。

「…応えなさい、私の半身…」

パンドラがそう呟くと、その紙は突如発火する。
…燃え尽きると、内側から風が吹いたように自然に扉が開く。
その中には、木に布張りの、両手に収まるほどの箱があった。

「…やっと、逢えた…」

パンドラの表情は、厳しかった…。




気絶したままのリラを背負い、リュウヤが帰ってきた。
…その後には、スフィアもついて来ていた。
パンドラが元の部屋に戻ると、さっきまで彼女が寝ていたベッドにリラが横たわっていた。
リュウヤは、パンドラを見つめる。

「…生きていたのね?」

パンドラは、ほっとしたように呟いた。
リュウヤの視線は、パンドラの手元を見つめる。

「…匣を…見つけたのか…」
「これは私の半身…返してもらうわ…」

パンドラは瞳を伏せる。

「これを開けてしまってから、私には不死の呪いがかかってしまった。
  永遠の命なんて良いものじゃないわ。いつまでもいつまでも、死んでゆくだけの生命を見送るだけだもの」

ふと、パンドラは苦い笑いを浮かべた。

「人類最初の女と言われた私は、人類の破滅まで生きなければならない…でも、私はそれでもいいわ」

その暗い瞳を上げて、パンドラは決然と言う。

「問題は彼ら…アダムとエヴァ…そして、リリス。彼らもまた禁を犯した者。そして、私と同じ呪いを持つ者…。
  彼らは破滅を求めている。だから、この匣をつけ狙っている」

リュウヤは言葉を聞きながら、魅入られたように匣を見つめたまま動かない。

「彼らの目を欺くために、私はこの匣が開かれるたびに場所を移動する力をつけた。
  私が開けてしまったことで一度放出された負の力は、予想外なことに移動するたびに再び溜めこまれていった。
  …だから私は、自分の子供たちのところを転々としているこの匣を追っていた」

パンドラは、手にある匣を確かめるように、キュ、と握りなおす。

「…やっと追いついた…私の半身……」

そして、苦々しい顔で吐き捨てた。

「だけど、もう負の力が破裂しそうに膨らんでいる…この鍵穴から溢れ出して、外の人間たちに影響を与え始めた…
  リリスの血が、目覚めてしまった……!!」

匣の境目に描かれた溝。
ちょうどあの指輪と同じ大きさだ。
そこから、何か黒いものが触手のように伸びているのが見えた。
半透明のようで、向こう側は透けて見える。

「……だから、あんな地下に隠しておいたのね…」

パンドラはその瞳をリュウヤに向けた。

「……信じたくなかったことだったが…そうだ。それは母さんが隠した匣だ。
  生命を懸けた呪で封じたってのに…その効き目も薄れてたのか…」

沈んだ声で言うリュウヤに、パンドラは優しげな声をかける。

「今までの子供たちは、知らずにこれを開けてしまっていた。
  …そういう運命なのだと思っていたわ。この中の物を放出する、自然の摂理なのだと…
  だけど……そう、私の子供にも、賢い子がいたのね…」

パンドラは、静かに笑った。


「とにかく、これは私が処分するわ」

「処分…て?」
「この匣を、私の身体に取り込むの。そうすれば、匣の、負の力を溜め込む力もなくなる。
  変わりに、この中に溜め込まれなくなった負の力はこの世界に蔓延することになるけど…
  これが暴発する危険性を考えたら、瑣末なことだわ」
「だけど、そんなことしたら、あんたが…」
「私は大丈夫よ。不死の人間だもの。それにこれは元々私の半身…影響はないわ」

「それは困るわね!」

ふいに会話を断ち切るように、沈黙していたスフィアが口を開いた。
その鋭い声に反応して、二人はバッと振り向いた。

スフィアの瞳に、光はない。

「お前…リリスか!」

パンドラが声を荒げる。

「そうよ。地獄の最初の花嫁、リリスとは私のことよ!」

妖艶とも呼べる笑みを浮かべたまま、スフィアの身体は声を発する。

「困るわねえ、それを消滅させられると」

その姿は、ソフィアのものでありながら、もはやその面影はない。
リリスは精神体となって、スフィアに乗り移っているようだった。

「そう言われて、素直に渡すと思うの?」

苦い笑みを浮かべ、パンドラは言う。
それに困ったように首をかしげて、全く困ったようではない声で、リリスは返した。

「そうねえ…力ずく、かしらね?」

ふいにスフィアが右手を前に差し出すと、衝撃波がパンドラへと向かった。
目に見えないベクトルが、パンドラの身体を壁へと突き飛ばした。

「ぐっ…!」

非力な少女の姿のパンドラの身体はゴム鞠のように跳ねる。
とたん、パンドラの手にあった鍵である指輪が弾き飛ばされた。

不敵に笑ったまま、リリスはその指輪の元へ近づいていく。

「あなたたちがそれを手に入れたところで…その中の不幸は、あなたたちにも及ぶのよ?」

パンドラは馬鹿にしたように言うが、リリスはそれをふいと見遣ると嘲笑する。

「私たちは悪魔だ。不幸は我々にとって幸としてしか存在しない。私たちは、世界全てに絶望しているのだから。
  そんなことより重要なのは、我らの繁栄。そのためには人間を堕落させることが必須…
  人が堕落すればするほど、私たちの生活範囲は広がっていくからね。
  この匣は我らの必要とする理にかなったものだわ。
  もしかしたら、あなたの神…ゼウスだったかしら?実は私たちの仲間なんじゃないの?」

そう言うと、スフィアの姿をしたりリスは、狂ったように笑い出した。
パンドラはその姿を睨む。

(どうすれば…)

泣きそうになるのを堪え、部屋を見渡す。
……リュウヤが、いつの間にかいない。

(逃げた…?)

パンドラがそう思うや否や、ドスッ、と、鈍い音が聞こえた。
リリスの笑い声が、止んだ。

スフィアの、鮮やかなスカイブルーのサリーに、紅い、じっとりとした色が滲む。

「リュウ…ヤ…?」

思わぬところからの助けで、パンドラは何が起こったのかを把握するのにしばらく時間を要した。

「……この、カスがぁッ!!!」

スフィアが人間であった時ならば、今の一撃で死んでいただろう。
しかし、彼女はもう悪魔に成り代わっていた。
刺し傷などものともせず、自分より一回りも大きいリュウヤを一蹴した。

「ふざけるな! お前などに用はない!! 消えろ!!!」

リュウヤに向かって、あの衝撃波が向かう。
その力が、リュウヤに直撃する…その瞬間。

「……な…に…?」

他の何らかの力により、その衝撃は相殺された。

「まさか、お前…」

リリスはスフィアの瞳を見開いた。
その先には、あの憎憎しい女…

「エヴァ…」






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慣れないアクションを書くと、このように痛々しい結果になります(笑)
もっと練習しよう…ι