奏でられる声は永遠に廻り
song-1








あなたの声で、歌を聞かせて。
 
 

風船が割れる音が、した。

(風船・・・)

あまりにものんきな自分の思考に、我ながら呆れて笑ってしまう。

とはいえ、今笑っている場合ではないのだが。

あれは銃声だ。

そして、いま、僕の生命を壊す音だ。
 


それは、あまりにも突然だった。
 


銃口から吐き出された熱い鉛の塊は、大きな衝撃となってこの胸を貫いた。

痛みは、感じなかった。

ただ、あまりにも突然起こったそれに、どう対処すればいいのか戸惑った。

一瞬の気の緩みに、咽喉の奥から熱いものが押し上げられた。

こらえきれずに吐き出す。

―――血だ。

死ぬ瞬間、人は走馬灯を見るというが、そんな余裕はなかった。

ただ・・・

 

ただ、どうしようもない虚しさと、悔しさと、哀しさと・・・


 
この結末の引き金となった、自分自身を呪っていた。


 
「じゃあな、奏廻」

 
薬莢の落ちるカラカラと乾いた音が聞こえた。

続いて、自分が地面に倒れる音。

革靴の軽い靴音が僕の前に向かってきて、止まった。

彼が、持っていた銃を僕に投げつけ、嗤ったような声を降らせる。

 

「憐れな女」

 

声は、それから聞こえなくなった。

彼の足の向こうに、ぼんやりと誰かの姿が見えた。


―それはまるで、惨劇のピエタ―
 


意識も、闇に、落ちてゆく。
 


願い事は、ひとつだけ。

あなたの声で、歌を聞かせて。





・壊れたラジオ・

 


真っ白な闇が視界を遮っていた。


サライは、その中を足元のラインをたどって歩いている。

そこは、道路のはずである。

黒くぬれたアスファルトと、白いラインだけが頼りだ。

この先に、ある男が待っている筈だ。

その筈だった。


――ふと、霧の向こうに影と光が見えた。


かすかに、エンジンの音が聞こえる。

サライは手を振ってみた。

光が、チカチカと点滅する。

サライはそれにほっと息をつく。

(間違いない……ノエルだ)

サライの身体から、力が抜けていくのが解る。



彼の左肩はぱっくりと傷口が開いて、血が滴っている。

(あんまり遅いから、迎えに来てくれたのか…)

サライは、自分の身体を支えきれずにアスファルトに膝をついた。

力が、入らない。

(あ……れ……?)

サライはそのままアスファルトに倒れこんだ。



近づいてくるエンジン音は、真っ赤なバイクの音だった。

黒いつなぎに黒いヘルメットをかぶったそのライダーは、 サライがアスファルトに伸びているのを軽く横目で確かめると……

スピードを落とすことなく、その場を通り過ぎていった。





明日、霧は晴れるだろう、と、サライの壊れたラジオが云った。




・炎と煙の因果・



そのラジオが発する音は、耳障りなノイズが主だった。

時たま拾うまともな音はいつもまばらで、何の番組なのかさっぱり解らなかった。

その日は、そのラジオの調子がすこぶるいいのか、僅かに歌が聴こえていた。

 


Feel your eyes of malice

Like a bullet through my heart

So unkind

Word




ドラム缶から火柱が立ち上り、真っ黒な煙が、天を焦がす。



Like gasoline,

Burn a hole into heaven



「"まるで空に穴をぶちあけるガソリンみたい"」


火の粉を撒き散らすドラム缶の側に、別のドラム缶を横倒しにして座っている女が呟いた。

全身黒の、安っぽいレザー風ポリエチレンのミニスカートのジャケットスーツ。

長い髪を、湧き上がる熱気に躍らせながら、赤いロングブーツで火柱の元を蹴った。

ゴン、と、鈍い音の向こうに、人影が揺れる。



「なんだよ、鈴音!なんか言ったか!?」



炎に声を遮られて聞こえなかったのか、それともドラム缶を蹴ったことに対してのたしなめなのか、 その人影は怒声をあげた。

「火!強すぎ!」

それに応えて、鈴音と呼ばれた女も大声をあげる。

「あぁ!?君が寒いっていうからやってんだろ!?」

人影がドラム缶の向こうから姿を見せる。

女の服と似た素材の、全身黒のスーツを着た、長身の若い男だ。

「響夜は限度ないんだよ!これじゃたき火じゃなくてどんど焼きじゃん!!」

「なにそれ?」

「知らないんならいい!馬鹿野郎!!」

 はぁ、とため息をついて、鈴音は髪をかきあげると、今度は立ち上がって、 座っていたほうのドラム缶を蹴り、炎から遠ざけた。

「んな怒んなくったっていいじゃんか」

 口を尖らせながら拗ねている響夜を横目で睨むと、鈴音は再び乱暴にドラム缶に座った。

「怒ってねぇよ、馬鹿野郎」

 子供の言い訳のような口調に、響夜は苦笑した。



 切りそろえられた金の短髪が炎に揺らぐ。

 青い瞳が、ふと優しさを帯び、鈴音を一瞬捕らえると、もう一度炎に振り返った。

 沈黙を、炎の生きる音と、ラジオから流れ出す歌だけが縫い上げる。



Tell me where to go?

Love is not enough

When love is not enough

Tell me

Who can I run to?

Love is not enough



「これ、誰の歌かな?」

「さあね。かなり古いみたいだけど」

 響夜の問いに、鈴音は投げやりに答える。

 それは、彼女が泣きそうになっているからだと、響夜は知っていた。

「切ない歌だね」



それには、鈴音は応えなかった。



 炎を見つめていたかと思うと、ふいに彼女は呟いた。

「あたしたちはまるで、炎と煙みたいな因果だね」

「……どうして?」

「炎は綺麗だけど、どんなに手を伸ばしても……煙には届かないのさ」

 鈴音は、空を見上げて、笑う。

「昔、煙は雲になるもんだと思ってた」

 響夜は、口を閉ざして、痛そうに鈴音を見た。

 彼女は、彼女の半身とも言える人間を想う。



「どこにいるんだよ、奏廻――」



気まぐれのような涙が一筋、鈴音の頬を伝った。



When love is not enough

Nothing matter



"愛が足りない時には、生きている意味なんてないの"





・信念と矛盾・



 サライは瞳を開いた。

 そこは、なんだか広いガレージのようだった。

 たくさんのドラム缶が乱雑に並べられているそこに、同じく乱雑に捨て置かれているような、自分。

 頭が回らない中、顔の向いている方から情報を捉える。

 白く切り取られた外界からは、何かが焦げている臭いがしていた。

 男と女の、怒鳴るような会話が聞こえる。


 そして、歌……歌が聴こえた。


 起きあがろうと動くと、頬に砂がこすれて、チリ、と痛んだ。

 しかし、その痛みは、左肩にあるのしかかるような激痛に消し飛んだ。


「ぐ………っ」


 急速に、記憶が蘇えってくる。

 途端に焦りが生じる。


(ノエルに、伝えなくちゃいけない)

 此処には、ノエルが連れて来てくれたのだろうか。

 痛みの元を触ると、包帯が巻かれ、手当てされているようだった。

 悪寒が体中をかけずりまわり、脂汗が浮き出てくる。

 咽喉が、渇く。


(伝えなくちゃいけない、奏廻が…)



 サライは、痛む肩に爪を立てる。



 (奏廻が、奴に連れ去られた……)



 奴、と、サライは苦々しげにその人間の顔を思い浮かべた。

 痛みをこらえ、身体を起こす。

 フラフラと立ち上がり、光のほうへと歩む。

 ガンッ、と派手な音を立てて、ガレージの壁に寄りかかる。


 見えたのは、凄まじい火柱と、黒い男と女の影。

 音に気づいて、二人ともこちらを見た。


「目が覚めたみたいだな」


 乱暴に聞いてきたのは女のほうであった。名前は、と男に訊ねられ、偽名を使うべきか一瞬迷った。


「……サライ」


 本名を名乗ったのは、きっとこの人間たちはノエルの仲間だと思ったからだった。

 ノエルには、他にも仲間がいると、ノエル自身から聞かされていた。


「あんたたちは……」

「あたしは鈴音、こっちは響夜。道端で死んでる奴がいて、邪魔だったから拾った」

「鈴音……」


 響夜は、鈴音の口の悪さに閉口したように呆れた目をし、優しい瞳をサライに向けた。


「ちょうど僕たちが通った道に君が倒れてて、ケガしてたから手当をしたんだ。

ここはあの道から100kmほど離れた郊外中の郊外。僕ら以外は誰も来ないよ」


 ドラム缶の中にあるだろう木の燃える音が、やけにうるさい。


「あんたたち……ノエルの仲間じゃないのか?」

 拾った、と言っていなかったか。

倒れている自分を、拾った、と。

ノエルが、自分が倒れる寸前に近くにいたような記憶がある。

バイクで近づいてきたはずだった。

気絶していたから、他の仲間に身柄を預けたとか、そういう手筈をとったのだろうと思っていた。


しかし、この、リオンとキョウヤが言っていることは、ニュアンスが違う気がする。

見ず知らずの人間を助けたような口振りではないか……。

思いを巡らせていると、リオンという女が口を開いた。


「ノエルなんて奴、聞いたこともないよ」


 ラジオから聴こえていた歌が、にわかに雑音の中に消える。

 ノイズは、サライの胸の中の不安を煽った。


 (切られた……?)


 サライはノイズを振り返る。

手のひらに乗る程度のそのラジオは、壊れてほとんどノイズしか拾わない。

 しかしそれは、ノエルにもらったものであった。

 たったひとつの、絆の証だと思っていた。


 リオンたちは、サライのことを深く追求しようとせず、ラジオを見た。

「勝手に使ってたけど、気に障った?」

 キョウヤが訊いてくる。

 いや、とサライは無表情に答えた。

「いらなかったから、くれたものかもしれない物だから」

「あそ、じゃもらってもいい?」

 軽い調子で言うリオンに、サライは首を横に振った。

「だめだ。……もらったものだ。ノエルに」

「ふうん」

 リオンはさして気にしたふうもなく、炎を見つめる。

 キョウヤはその姿に苦笑して、炎に木をくべた。


「……リオン、キョウヤ」

 サライはその後ろ姿に呼びかけた。

「手当てしてくれて助かった。おれはもう行く……」


「名前は?」


 サライが言いかけるのを遮るように、唐突にリオンが訊いた。

「……え?」

「名前の、意味」

 足りなかった言葉をつけたして、リオンは振り返る。


「……ペルシャ語で……宿、だけど?」

「そう、漢字はないんだ」

「それが……?」

「あたしはね、鈴の音っていう字を書く。響夜は響く夜」


意味不明な会話に、サライは戸惑った。

「何が言いたいんだ?」


「かなでる、まわる……を、知らない?」

「かなでる、まわる……?」

「奏でる、廻る」

 鈴音は、細い指で空中にその字を書く。


『奏廻』


 鈴音は、まっすぐにサライの瞳を見た。

 その瞳は、まるでサライの心をえぐるように……。

「かなえ……」

 普通は読めないような読み方を、たやすく読んだサライ。

 それに対して鈴音は何の反応も示さない。

「そう、奏廻。知ってるみたいだな、奏廻のこと」



――奏廻――



「知ってるも何も……天才歌手って騒がれてる、アレだろ?」


 その名は、世界にも影響力のある、未知の天才歌手の名だ。


「そう、そして今、どこかへ消えてしまっている……」

「それが……どうか」

 したのか、と続けようとしたところで、鈴音が遮る。


「あたしたちは、奏廻の関係者だ」


「え……」


「奏廻を、探している」


 サライを、鈴音はその鋭い目つきで貫く。

 サライにはそれが自白要請のように聞こえた。

 サライは、確かに奏廻の行方を知っている。

 ……いや、知って「いた」。

 しかし、会ったばかりなら、自分が奏廻の行方を知っていることは、相手は知らない筈だ。


「どうして、それをおれに訊くんだ」

「会う人には必ず訊いてるんだ。気に障ったなら悪かったね」

 響夜はさらりと言うと、鈴音のほうを見た。

「知らないってさ」

 鈴音は寂しげに瞳を伏せた。

 やはり、サライを疑っているわけではなさそうだ。


「用はそれだけか?だったら、おれは行くぞ。急いでるんだ」

「……どこへ」

 響夜が初めて冷たい瞳をした。

 サライは、背筋が粟立つのを感じながら、続けた。

「……ノエルの、所へ」

「そのノエルって奴」

 響夜はその瞳をやめない。

「あんたを、捨てたんじゃないのか」

「……どうして」

「……君は僕らの事を、『ノエルの仲間』だと思ってたんだろう?

 それは、ノエル、もしくは他の仲間と、気絶する寸前に会ったから、 そいつに保護されたと思い込んでいたんじゃないのか?」

「そんなはずは……ない」

 響夜は、サライの不安の芽を大きくするように、その瞳で見詰めてくる。

「ない、と言い切れるのか?」

「……」

 言うべき言葉が見つからず、サライは黙した。

「もし、捨てられたなら」

 鈴音が、口を開く。

「戻ったら、殺されるだろうな……ほぼ、確実に」

 鈴音のその言葉に、サライは驚きとも怒りともつかぬ表情をする。

「その傷、放っておいたら致命傷にだってなってたぞ。あたしに縫合の技術があったから良かったものの…

 拾われてなかったらどうなってたかさ」

「……!」

(……ノエル……!!)

 ないとは言い切れない。

 それは、ノエルには時に見せる残虐性があるからだ。

 懐に入れば情に厚いが、いつ捨てられるか、切られるか、内心怯えていたのは否めない。



 ……しかし……。

 しかし、サライは同時に、この鈴音と響夜をも完全には信じきれないのも事実だと思った。

 全てを信じてしまうのは危険だ。


 もしかすると、ノエルのチームをつぶそうとしている奴らかもしれない。


「……いいよ、それでも。じゃあおれ、行くから」

 (ノエルになら、殺されるのもいいかもしれない)

 そんな投げやりな思考をしながら、サライはフラフラと歩き始めた。




「サライ!」

 響夜の声が響いた。

 振り向きざまに、白い何かを投げられた。


 受け取ると、それはシルバーのシンプルな指輪だった。

 意味がわからず、訊ねようとすると、響夜が先に言った。


「『端末』だ。持ってけ。困ったら使え。直通だ」


 意味はよくわからなかったが、これは何かの端末らしい。

 使い方は、その時になれば何とかなるだろうと思った。

 訊くにも、サライには怒鳴る気力もなく、きっと使うこともないだろう、と、それをポケットにしまった。

 軽く手をあげ、重い足取りで前に進む。

 天気予報が外れて、また濃霧がやってきた。

 炎の領域を過ぎ、サライは、真っ白な闇の中へ、また一歩踏み出した。

 彼らと、ノエル。

 どちらを信じるのかを、さらいは未だ迷っていた。

 信念と矛盾。

「……くそっ」

 サライは地を蹴る。

「お先真っ白」

 自分で言ったことに呆れ、食べ物をもらっておけばよかったと後悔して、ため息をつく。

 白いはずの息は、同じ白に溶けて見えなかった。





・記憶と生命の違い・



「なんで『端末』なんかやったんだよ」


 鈴音がうらめしそうに響夜を見る。


「きっと、つないでくるよ。そのとき、必要になってるはずだ。お互いに」

「使い方わかると思ってんのか?あのガキに」


 忌々しげにサライのことをガキと呼ぶ。その姿に響夜は笑い、続けた。


「さあ、何とかなるんじゃない?」

「あのなぁ……レプリカント・メモリーズなんてそんなに出回ってないんだぞ?

しかも最新型の通信可能なアンドロイド型なんて、ぜんっぜん誰も『端末』の使い方なんてわからないね!」


 その言葉に、響夜は苦笑する。


「そういうこと聞くと、本当に自分は死んだんだな、と思うよ」

「……そういうこと言ってんじゃねぇよ……」

 切なげに、響夜を睨む。

「そういうことさ。僕はもう僕であって、僕じゃないのさ。…生き返った君とは違う」

「……たまたま、奏廻がいただけだ」

 鈴音は足元を見詰める。


「いなかったら、死んでた」


 響夜は空中を見据える。

「僕らは、どうして死んだの?」

 鈴音は、小さくなってきた炎を見る。

「知らないほうが、いい」

 響夜はため息をつく。

「死んだ瞬間の記憶がないなんて、もしかするとすごく残酷なものかもしれない。レプリカント・メモリーズってやつは」

「でも、あたしたちはあんたがいたほうがいいから、レプリカントにしたんだよ」

 鈴音が、珍しく笑う。

「幼馴染はそろってなくちゃ」

 見詰め合う瞳の沈黙の中、響夜は、思う。

(それでも、生きていたかった)

 鈴音は目を逸らし、空を見る。

 彼女が愛する、彼女を思って。






<top  next>

close






余談:「どんど焼き」というのはうちの近くで正月あたりにやる御札とかを焼く儀式のことです。
お好み焼きみたいな食べ物のことではありません。(どんどん焼き)
ていうかいい加減ローカルですね、このネタ…