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グレイスとユイトを見送って、クロムがアイリスの手に目をやると、袋が目に入った。 「アイリス、それ買ってもらったのか?」 クロムはその袋を指差した。 「え?ああ、うん、そうだよ。あとね、これっ!」 アイリスはあわてて別の袋を取り出し、クロムの前に中身を取り出してみせる。 ころん、と音を立てて、鈍く光る何かが転がった。 「…シルバーのリング?男物じゃん」 自分のものを買ってもらいに行ったはずなのに、これはどう考えてもアイリスに似合う部類のアクセサリーではない。 不思議に思いアイリスに目を向けると、アイリスは照れたように笑う。 「これ、クロムに」 「おれに?何で?」 グレイスには男に物をただで買ってくれるような奴ではない。 どう考えてもおかしい、そうクロムが口にしようとすると、アイリスが続けた。 「あのね、グレイスの目を盗んで私が買ったの。なんか似合いそうだなって思って」 「ほんとに?」 人に何かを貰うという行為が、自分の人生の中には数少ないことだったので、クロムは戸惑いを感じた。 その沈黙を、アイリスは訝る。 「あれ〜?嬉しくない?クロム、シルバーのアクセしてるから好きかなーって思ったんだけど」 確かに、クロムはシルバーのピアスを左耳に一つ、ブレスレットを右腕に一つ身につけていた。 今度はその洞察力に驚く。 「…いや、嬉しい。ありがとう」 やっとのことで笑顔を浮かべると、アイリスの顔がぱあっと華やいだ。 「うん、どういたしまして!」 トイレのドアを閉めると、どことなく薄暗い空間が広がる。 グレイスは、店内の光が全て遮られる前に、ライターの火をつけた。 「グレイス、僕は煙草が嫌いだ」 ユイトが静かに呟いた。 グレイスは一瞬瞳を上げると、薄く笑う。 「知ってるよ。一本ぐらい吸わせろ」 ユイトはそれにため息をつく。 「それで?クロムには話したのか?あのこと」 「話したよ。あまり乗り気ではなかったけどね」 「ふうん…アイリスちゃんのことは?」 「もちろん言ってないよ。言えば僕の身に危害が及びそうだったからね」 「…そうだな、クロムの奴、アイリスちゃんに結構入れ込んでるみたいだからな… 俺たちが、アイリスちゃんを狙ってる、なんて言って黙ってる訳ゃ無い、よな」 グレイスは、深く煙を吸い込んだ。 そして、再び口を開く。 「…アイリスちゃんは知ってると思うか?ウイルスのこと」 「…知っている筈だ。…だから、生かしては置けない」 グレイスが、無言で紫煙を吐き出す。 ユイトは、それを鋭い視線で射抜いた。 「グレイス」 「あん?」 「気が進まないんじゃないだろうね?」 グレイスは答えない。 沈黙がしばし横たわる。 ギイ、と音を立てて、グレイスがドアを開いた。 振り返ってユイトを見る。 「そろそろ、料理が来たんじゃないか?行こうぜ」 来た時と同じように、バタン、と音を立てて、ドアが閉まった。 ユイトは、その閉じられていくドアを見詰めていた。 |
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「おっそーい!料理来てるよ〜!!」 戻ってきたグレイスたちに、声をかけようか迷っているクロムを知ってか知らずか、アイリスが声を上げる。 「ああ、ごめんねー」 「……」 クロムの懸念は外れていなかったらしく、二人の間に流れる空気はどこかおかしい。 自分の言ったことに対して、なにか二人の間に揉め事でもあったのだろうか。 思い悩むクロムを尻目に、グレイスとユイトは食事に手をつけ始める。 気まずい沈黙の中、カチャカチャと食器のぶつかる音だけが響く。 (さっきの騒がしさが嘘みたいだ…) ふとそんなことを思ったときだった。 「アイリスちゃん」 沈黙を破るかのように、ユイトがアイリスに話しかけた。 「ん?なに?」 周りの不穏な空気に気付かず、ただ単に食事に専念していただけのアイリスが顔を上げる。 どこまで天然なんだこの娘は… クロムは知らずため息をついた。 「君、機械には強い方かい?…パソコン、とか、ネット使ったりする?」 ユイトの言葉に、今度はクロムの方が態度が硬化する番だった。 (こいつ…!) しかし、言葉を口にしようとしたところを、グレイスが無言で制する。 少し緊迫した雰囲気の中、あくまで暢気にアイリスは応えた。 「私パソコン好きくないのよね〜」 「あ〜、機械オンチ?」 すかさず茶々を入れてくるあたり、グレイスはさすがだ。 「むっ!馬鹿にしたわね!…でも、少しぐらい弄ったりはするよ?」 「最近変わったことはない?」 「変わったこと?…別に?」 「何でそんなこと聞くんだよ、ユイト」 やっとグレイスの視線での制止が解けたので、クロムは会話をとめにかかる。 この会話は、さっきユイトが自分にした話と同じ類の意味を持つものに違いないのだ。 そんな危ないことにアイリスを巻き込むわけには行かない。 「あ、いや…なんでもないよクロム、気にしないで」 言外に、自分への牽制をこめられているのを感じながら、クロムはユイトの言葉を受けた。 静かな攻防が起きようとしていた。 ただ、誰が信じられなくて、誰を信じていいのか、わからないままに。 |
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「あ〜、満腹満腹」 グレイスが大声でそういうと、店のドアを押しやって開けた。 クロムはそれをいささか冷ややかな目で見やる。 「…クロム、」 ユイトの控えめな掛け声に、クロムはその瞳を向ける。 「なんだよ」 「…君はこれからどうするんだい?」 取り繕うように、けれど決して媚びるそぶりは見せずに、ユイトはクロムに訊ねる。 クロムはとりあえず警戒を解いてそれに答えた。 「そうだな…また稼ぎにでも行くかな」 「ストリートファイト?」 「それしか食い扶持ないからな」 なら、とユイトが口を開きそうになるのを待たずに、クロムはアイリスを見やった。 「アイリス、お前はどうするんだ?俺に会いに来て、もう用事は終わったろ?早く安全な家に帰れよ」 突然のクロムの言葉に、アイリスは目を丸くして抗議する。 「えええ!?もう帰んなきゃダメなの!?いいじゃんクロム〜!もっと遊ぼうよ〜!」 アイリスはいやいやと頭を振ってクロムの手を掴んだ。 その肩に、グレイスの手が伸びる。 「な〜んだアイリスちゃん、そんなことなら俺が相手してやるぜ?」 「スケボーは?乗せてくれるんじゃなかったの?」 「俺はスケボーは苦手だな…」 「後ろに乗せて、見たいところどこでも連れてってくれるって言ったじゃない」 「いつそんな話したんだクロム!」 「ねえクロム〜!」 「グレイス…いい加減諦めなよ」 「くッ…なかなかつかめない子だ…」 脱力したグレイスの肩に、ユイトが手を乗せる。 とその時、いつの間にかアイリスに首根っこをつかまれ、がくがくと揺さぶられていたクロムは突如大声をあげた。 「ああああ!思い出した!!そういや俺、いまスケボー調整に出してて…取りに行かなきゃならないんだった…」 その声に、やっとアイリスの手が止まる。 「この辺に、技工士なんていないだろ?どこに頼んできたんだい?」 ユイトが訊いてくるので、クロムも条件反射のように答える。 「ああ、ノームベリーにいい腕の店があって…」 ノームベリーとは、ホワイトバレイから二街越えた所にある、職人の街として有名な場所だ。 「ノームベリーか。結構遠いね…」 「はいはいはーい!私も一緒に行きたいでーす!」 アイリスが手を上げて声を上げる。 「え!?いや俺はいいけど…遠いよ?一晩かかるけどそれでもいいのか?帰ったほうが…」 「いいの!連れてってよクロム〜」 「…まあ、いいけど…」 ごにょごにょと口の中で呟きをもらすクロムに、グレイスが声をかける。 「じゃあ、俺たちも一緒に行くから」 「あぁ!?何でだよ!!」 「女の子と二人っきりになんてさせるかよ!」 「なんだそれ、お前頭腐ってるよ!」 「なーんとでも言え!ついてくからな!」 強引な決定により、グレイスはクロムの首を掴んで引きずるように歩き出す。 クロムは、それになんとなく反論できないまま、仕方なくされるがままについて行く。 街に着くのは、もっと遅くなるかもしれない。 そんな暢気なことを考えながら。 |