・4・

昼時の雑踏の中、クロムとアイリスの後を歩きながら、グレイスは静かにユイトに話しかける。

「なぁ…本当にあの娘なのか?」
「あぁ、間違いない。アイリス・ウィッシュハート…偶然にもクロムと一緒にいてくれるとは…
警戒心を解く手間が省けて助かったね」

戸惑いと躊躇いを含むグレイスの声に、ユイトはなんでもないことのように返す。
しかし、それはグレイスに更なる戸惑いを感じさせた。

「…そうか…」

その戸惑いと、違和感にも似た感覚に、まるで自分をごまかすようにそう呟いた。

「グレイス、わかっているだろう?
君が女の子に対して手荒なことをするのに抵抗があるのはわかっているけど、これは僕たちが幸福になる
ための手段なんだ。躊躇っている場合じゃないよ」
「…わかってるよ」

苛立ったように応えると、グレイスは煙草を取り出して、火をつけた。
その紫煙は、彼の歩く道をたどっていく。
彼のその視線の先には、懐かしい友人と、今彼らが必要としている彼女がいた。


「ふーん、クロムってスケボー乗るんだ!」
「あぁ、今は店に調整に出してるけどな」
「私後ろに乗りたいなー!いい?」

再び上目遣い炸裂!
――それ、反則…
クロムは軽い目眩を覚えながら、苦笑する。
これが計算づくならまだ対抗できるが、どうも天然らしい。

「…いいけど、でもなー、俺パワーないしー。君、おっこっちゃうかもね」
「あっははは、うっそくさー!超強いのに!!」

――自分が少し貶められていることにもあまり頓着しないし…
クロムは再び苦笑する。
天然には対抗できない。

視線を上にずらすと、目当ての店の看板が目に飛び込んできた。
後ろを振り向くと、グレイスとユイトは遅れ気味に歩いているのが見えた。

「おーい、グレイス、ユイト!遅いぞ〜!」
「おいてくぞ〜!」

すかさずアイリスが続ける。

「お前、おごってもらうんだろ?」
「あっ、そっか。はーやくー!!」

現金な奴、と少し笑ってみても、やはりなんだか他の男におごらせると言うのは面白くない。
――特定の意味はないけどな!
と、自分に言い訳をしているような気もするけれど。

「…俺がおごってやってもいいんだぜ?」
「…んん〜〜?」

挑発してみたが、アイリスはわからない、と言うように首をひねる。
意味が通じなかったことに、ほっとしたような、がっくりきたような…

「ははっ、ニブチン!」
「えぇ〜、なにそれ!」

笑って見せると、アイリスはふくれっつらでクロムを軽く睨んだ。
その顔がおかしくて、笑ってしまう。

「はいは〜い、遅れてごめんよっ!寒いし早く中入ろうぜ!」

グレイスがそう急かすと、店のドアに手をかけた。
押して開くと、涼しげな鉦の音が、カランカラン…と耳に響いた。


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・5・


夜は酒場として開店している店も、昼間にはまっとうなレストランの風情があるから不思議だ。
クロムがそんな感慨にとらわれていると、

「私こーこ!」

と、異様なまでのはしゃぎようで、アイリスが窓際の席に陣取った。
その瞳はクロムに向けられ、隣に座ることを期待しているように見えた。

「じゃ…」
「んじゃ俺はこーこっ」

アイリスの隣に座ろうとしたクロムを遮るようにグレイスがアイリスの隣の椅子にガタガタ音を立てて座った。
ぴし、と、空気にひびが入る。

――グレイス、わざとなのか、それとも気付かなかったのか…?

どっちでも腹が立つ、と思いながらも、仕方なしにクロムはアイリスの向かい側に座った。

「えぇ〜、グレイスが隣〜?」
「なんだよ、つめてぇなぁ。いいだろー?アイリスちゃんvv」
「…別にいーですけどね〜?」

アイリスはグレイスに対して冷たくあしらう。
グレイスはそんな態度にも怯まない。
たいした神経をしている、と、クロムは呆れの視線を送る。

「ご注文はお決まりですか?」

しばらくすると、ウェイトレスが品よくやってきた。
それにいち早く反応したのはユイトだった。

「はい、僕は海鮮のパスタとジャガイモの冷製スープ」
「あ、俺もそれと〜、後は…」

グレイスは意味ありげに瞳をあげると、間を置いて続けた。

「…マンハッタンだ。『レッドチェリー』を忘れるなよ?」

グレイスが続けたのは、カクテルの名前だった。
マンハッタンというカクテルは、 カナディアン・ウィスキー、スィート・ベルモット、
アロマチック・ビターズをステアしたものだ。
そして、種を抜いたチェリーをシロップ漬けにして赤く着色した『レッド・チェリー』をカクテルピックに
刺して沈めるのが定番だ。


「お前それカクテルじゃん。いいのか〜?昼間っから」
「いーのいーの、俺強いから」
「そういう問題じゃねえよ…」
「『マンハッタン』ねぇ。グレイスにぴったりじゃないか。
インディアンの言葉で、『酔っ払う』という意味らしいよ」

ユイトがメニューを覗き込んでその説明文を読んだ。
クロムもそれを覗き込む。

「あ、ほんとだ。…ん?なんだよグレイス、『レッドチェリー』ってレシピの中に入ってんじゃん。
いちいち言う必要あるのか?」
「こないだ他の店で入れ忘れられたんだよ。いいだろ、どうでも」

いかにもめんどくさそうにグレイスが答えると、クロムは「細かい奴」と鼻を鳴らした。

「えーと、俺はピザとコークで」
「はい、そちらの方は…」
「んっと私はね、グラタンとハンバーグとパスタサラダとオレンジジュース!」

ウェイトレスに言葉をかけられた途端目を輝かせてそう叫ぶアイリスに、半ば呆れてクロムは笑う。

「またいっぱい頼んでる…」
「そんなに食うの?アイリスちゃん…」
「いいじゃなーい。あなたのおごりなんでしょ?」
「…ちゃっかりしてるよ…」

「以上です」
「かしこまりました、少々お待ちください」

騒ぎ始めたクロムたちを無視する形で、ユイトが涼しげに注文を打ち切った。
漫才のようなやり取りに、傍目からはユイトは冷静な傍観者に見えただろう。
だから、ウェイトレスが注文を繰り返している間、ユイトがひたとアイリスだけを見ていたことに、
誰も気付かなかった。


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・6・

「ところで、クロム。君は今この街に住んでいるのかい?」

一息つくと、おもむろにユイトがクロムに尋ねた。
クロムはそれに反応して、ふと隣に座るユイトを見る。

「ああ、この街で安いホテル借りて、そこに居座ってるよ。昨日はアイリスもそこに泊まったんだ」
「…ふうん」

そう言ってユイトは一瞬怜悧な瞳をした。
名前を出されたアイリスは、それに気付くことなくグレイスとの不毛な舌戦を繰り広げていた。
クロムはそれを見ながら苦笑する。

「それで、どうやって生計を立てているんだい?」
「え?ああ、そうだなー。とりあえずは大体ストリートファイトで稼げてるからな…」
「そうか…。クロム、昔から喧嘩は強かったからね」

懐かしそうな声を出すユイトに、クロムも遠くを見るような瞳をする。
何も知らずに、幸せだったあの頃。
…しかし、それがまやかしだと知ったのも、その頃だった。

「昔からって、3人はいつからの友達なの?」

静かになった2人の間に、突然アイリスが会話を振ってきた。
その問いにはグレイスが答える。

「そうだな…大体10年位前から…か?」
「ずっと一緒だったよね。いつも3人で遊んでた」
「幼馴染、ってやつだよな」

微かに在りし日々の情景を思い出すが、それは郷愁と同時に痛みをも呼び起こす。
それを振り切るように、クロムはわざと明るい声で話を変えた。

「な、お前らは今なにしてるんだ?」

その問いに、しかしユイトたちの反応は鈍かった。

「えーと、ね。今僕たちにはある目的があって…」
「目的?なんだよそれ」
「うーん…」

はっきりしない物言いに、クロムは焦れるが、ユイトが取り繕うように窓の外を見る。

「あ、アイリスちゃん、路上でアクセサリー売ってるよ。君、ああいうの好きじゃない?」
「…ほんとだっ!クロム、行こっ?」
「あー、俺が行くよ。クロムじゃ頼りないからな〜」

有無を言わせずグレイスが立ち上がる。

「頼りないってなんだよ!」
「うーん、女の子みたいな顔してるところとか?」
「女顔って言うな!!」

立ち上がろうとするクロムの袖を、ユイトが僅かに引く。
クロムは微かに瞠目した。

「うぅ〜?アクセも買ってくれるの?グレイス」
「…君はおねだり上手だね…」

ちっとも収まらないやかましさのまま、アイリスとグレイスは一度店外に出た。
クロムはそれを見送ると、ため息をついてユイトを見やる。
ユイトは優雅に水を口に運んでいた。

「アイリスに聞かれるとまずい話でもあるのか?」

少し拗ねた瞳でユイトを睨むと、ユイトは少しに笑って、クロムの瞳を見た。

「クロム。君に聞いて欲しいことがある」
「…なんだよ」

神妙な顔で言われるが、なんだか妙な感じがする。
何が、と問われても答えることは出来ないが、微かな、違和感。

「僕とグレイスは今、ある計画を立てている」

ユイトは指を組んで、静かに話し始めた。

「それが成功すれば、僕たちは貧しさで、飢えで苦しむことはしなくてすむ。幸福になれるんだ」

目に浮かぶのは、神にさえ見捨てられたと思うほどの冷たい世界。

――ユイト?

「クロム、君も一口乗らないか?」

『いつか、思い知らせてやるんだ』

かつての自分たちが吐いた呪いを、再び耳元で聞いた気がした。


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・7・


ユイトが持ちかけた話の内容を要約するなら、こういうことだった。

彼らはとある筋から、パソコンのデータを読み取り、その後に破壊するというウイルスを預かった。
彼らの仕事はそのウイルスの管理である。
指定されたデータのもとへとウイルスを流すのが主な内容だ。

成功させれば、報酬は今まで見たこともないほどの額をもらえるらしい。

「…で、ウイルスを送りつける先はどこなんだよ」
投げやりな口調でクロムは訊ねる。
「それは、言えない」
「言えない?」
「まだ、君が協力するかどうか、聞いてないからね」

しれっとした態度で、ユイトは言う。

「はーん、俺にも選ぶ権利をくれるのかよ」
「まぁ、ゆっくり考えてくれていいよ。でも…僕個人としては、君に協力してもらいたい。
君は頭がいいし、いざとなれば喧嘩も強い。…勘も、いいだろ?」

クロムは少し沈黙して、ユイトを睨む。

「よっぽどヤバイ相手らしいな…俺の勘をアテにするなんて」
「この話は嫌だったかい?」
「…わかっててやってんだろ?」
「そうだね」
「性格悪くなったなお前…」

クロムは苦笑して二人の間に流れた緊張の空気を解いた。

「まぁ、相手を言わないのは懸命だったな。…俺はやらないからな」
「クロム!」
「俺は金には困ってねぇんだよ」

この話は終わり、とばかりに、クロムは手元の水を飲み干す。
なお言い募ろうとしたユイトが口を開いた時、再び店の戸の開く音がした。

開いた戸のほうに目をやると、アイリスとグレイスが店内に戻ってきたところだった。

「たっだいま〜★…ン?クロムどしたの?顔が暗いぞー!おなかすいたの?」
顔がいいんだから笑え!と、よくわからない理屈で、アイリスはクロムの頬をつねった。
「いてててて!わかった!わかったからつねるな!引っ張るな!」
アイリスの騒がしさはどこにいても変わらないようだ。
グレイスも、心なしか疲れているように見える。

「あー、俺、煙草吸ってくる。此処禁煙だし…ユイト、付き合え」

横柄な物言いで、グレイスはユイトを連れ出す。

「どこに行くんだい?」
「トイレ!」

ユイトの問いにぞんざいに答えるグレイス。
ユイトは、「多分そっちも禁煙だよ…」と呟きながらその後に続いた。

「あの二人、怪しくなーい?」
アイリスが面白そうにクロムに言うが、
「怪しいって、何が?」
クロムは何も判っていなかった。


おまけ9.5


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