・prologue・


薄暗い部屋に青白い光が照っている。
パソコンの前でその光に照らされた色白の男は、絶え間なく続くカタカタという音の音源となっている。

彼の視線の先には、膨大な量のデータが流れるように展開していた。
叩くキーボードの音にまぎれて、彼の口から言葉が漏れ出ている。

「……最終的には……を……ろす」

本人さえも自覚の無い言葉。
特に意識することもなく、彼はそのデータの確認を進めていた。

背後から、突如別の男の声がした。
「おい、調子はどうだ?そのデータは俺たちを幸福へと導くものなんだからな。大切に扱えよ?」

映し出された影は、その男がずいぶん身長が高いことを物語っている。
その影に、パソコンの前の男は少し苛立ったように応える。

「わかっている」
「ならいいけどさ」

大男のほうは、その棘のある言葉もさして気にした風もなく、暢気に返す。

…と、突然パソコンからエラー音が鳴った。

「ち、しまった!」
パソコンの男が、色の白いその手を机に打ち付けた。
「どうした?」
「データが勝手に移動を始めた!阻止できない…なんだこれは!?」
「なんだって!?おい、早く止めろよ!」
「とんでもないイレギュラーだ…くそ!どうしたらいいんだ!!!」

パソコンの彼は、どうしようもなくなったディスプレイを見詰めて、茫然となった。
その彼の肩を、大男が叩いた。

「おい、これは…」

「…そうか、なるほどね・・・これは、直接生身で行くしかないみたいだね…」

パソコンの彼は、そう呟くと、もう用はないとばかりにパソコンの電源を落とした。


…後には、闇だけが残った。


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・1・


深々と神聖なる雪が降り積もる夕暮れ。
レンガ造りの町並みの中で響くのは、人々の話し声や靴音だけであった。

しかし、裏路地に入ると雰囲気は一変する。
なんともうらぶれた暗い路地。
そこは「負けた相手の金は自分のものに出来る」という暗黙のルールによって成り立っている、
ストリートファイトを生業とする者たちのたまり場と化していた。

聞こえるのは喧騒。
乾いた暴力の音。
人が崩れ落ちる、音。

今しがた倒したそこそこ体格のいい、スキンヘッドの男を見下ろして、少年が溜息をついた。
「はぁぁ〜っ、ったく弱ぇなぁ!もっとマジにかかって来いっつーの!…さてと…」

少年はルールに則り、相手の持っている現金を物色し始めた。
その間も、悪態をつくことは忘れない。

「お、あったあった。んー、あんまり趣味のいい財布とは言えねーな。
1、2、3、4、5、6…ま、中身はそれなり、かな。サンキュなっ」

そのまま立ち去ろうとする少年を、やっと気がついた男が苦しげに呼び止める。

「待て、貴様…クロム・ルザートとかいうガキ、か?」

その名を聞いた途端、少年は立ち止まった。
振り返るその瞳には、さっきまでのふざけた色はない。
どこまでも玲瓏な瞳を向けてその男を見据えると、再びふざけた口調で男に言葉を返した。

「…ああ、そうだよー?なんで知ってんの?」

「フン、この街で貴様ぐらいのガキがストリートファイトで食っていけるっつーのは異例なんだよ。
…知ってんだろ?この街の評判は」

「あーそっか。なーるほど?
 んじゃま、あんた早いとこ診療所行ったほうがいいよ〜。痛そうだもんね、此処の傷」

クロム、と呼ばれた少年は、倒れたままの男の足についた傷…
…さっきクロムが転ばせた際に落ちていたガラス片で派手に切ったもので、クロムは計算づくだった…
に、軽く触れる。
男は苦しげにうめき声を上げた。

「ばい菌入って化膿しちゃう前に行くことをお勧めしますよ」

人差し指を立てて、偉そうに言うと、満足したのかクロムはその場を立ち去った。

残された男が、暗い路地で身体を起こしてひとりごちる。

「…あんなガキが…この街で無事に生きていられること自体、異例なんだがな…」

男はそんな自分の声に自嘲の笑みを零し、あの少年…クロム・ルザートの忠告に従うべく、
痛む足を引きずって立ち上がった。



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・2・


人気の少ない路地を、クロムは未だ退屈そうに歩いていた。

「さーて、金も手に入ったし、なーにしようかなー…」

彼には一緒に住む家族はいない。
基本的に彼は根無し草である。

彼がこの街に居つくようになってから、数ヶ月が経っていた。
ストリートファイトで稼ぐ者の人口が一番多いとされる、ホワイト・バレイ・シティ。
その名のとおり谷底にあるこの街での法治は無きに等しい。

この街では風俗やカジノが主要な産業となっている。
そこで起こったトラブルからストリートファイトになだれ込むことも珍しいことではない。

クロムはその中でも、積極的にストリートファイトで稼ぎを得ていた。
自分から喧嘩を吹っかけることも多々ある。
今回も、「お兄さん弱そうだね〜」などと挑発してストリートファイトに持ち込ませた。

クロム・ルザートという少年は、その繊細な体躯からは想像も出来ないほどの力と技を持っている。
ここでクロムのような年の頃の少年がストリートファイトのみで生きていこうとすれば、いずれ命を
落としかねないが、クロムを知るもの、そしてクロム自身も、その懸念は露ほども持っていない。

「なんか疲れたし…宿にでも戻るか…」

クロムは、何かに疲れたような目をしてそう呟くと、しばらく根城にしている宿屋へと足を向けた。


ばしゃ、ばしゃばしゃ、…


何かが駆けてくるような音に気付いたのは、そのときだった。


どん!


なにかの衝撃が彼の腕に当たり、跳ね返った。

「うわ!?」
「ひぁ!?はぁっ、はぁっ、ご、ごめんなさい!…ん?」

突然ぶつかってきたもの。

それは女の子だった。

よろめいた体勢を立て直すや否や、彼女は黙りこくってしまった。

つやめくキャラメル色の髪。
あわせたような瞳の色。
顔のつくりは可愛い…かなり可愛い顔をしていた。

年の頃は多く見積もってもローティーンといったところだ。

「………」

その瞳が、クロムをじっと見詰めている。

「……えーと…俺の顔に何かついてる?」

沈黙に耐え切れなくなったクロムが彼女に聞いてみる。

「…あっ、いやあの、ううん、違うの。あの…間違ってたらごめんね?」

「うん。何?」

「クロム…ルザート…」

「はい、まさしく俺の名前」

「やっぱり!茶髪に赤い瞳…。噂で聞いたよ。すっごい強いんだってね!」

「…俺、そんなに有名なの?」

先ほどのしてきた男の言葉を思い出して、クロムは不審がって訊ねる。
それほど目立つようなことはしていない筈だ。
たとえ、これほど若いながらも此処で生きていけているという特異性があったとしても。

しかし、彼女からの返答は実にあっさりしていた。

「ううん。別に」
「オイι」

即答かよ、と内心毒づきながら苦笑してみる。

「でもね、私は会ってみたいなーと思ってたんだ。この街で生きていけるほどの強さの、
同じくらいの男の子に」

「…で?どーでした?あってみての感想は。予想通りのイケメン?(笑)」
「あはは!うん、イケメンイケメン!結構かっこいいんだねっ!…でも、予想とは全然違ったよ〜」
「どんな予想してたの?」
「うーんとね、筋肉ムキムキでごっついの!」
「ぶっ、マジで!?」
「うん。違ってて良かった〜」
「そりゃそうだな。ってか良くそれで会いたいなんて思ったな」
「う〜ん、怖いものみたさってやつ?」

上目遣いでおどけてみせる彼女を見ると、思わず笑いがこみ上げてきてしまう。
くっくっと笑いながら、クロムは彼女を見やる。

「あんた、面白いな〜、名前は?」

「あぁ、まだ言ってなかったね。私はアイリス。アイリス・ウィッシュハートだよ。よろしく、クロム」

さも当然のように差し出された彼女の手。
クロムは、少し躊躇いながらもその手を握った。

「あぁ、よろしく」

その手は、じんわりと暖かく、クロムの胸を微かに締め付けた。


おまけ2.5




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・3・


「…え?申し訳ございませんお客様、もう1度…」
「だーからー、チェリーバニラとチョコチップとカシスシャーベットとストロベリークリームとアップルピンクだってば!!」
「おいアイリス、本気か!?5段も食うの!?」

屋台のアイスクリームショップ。
この騒ぎは、しかし街の喧騒に打ち消され、店員は少し顔を引きつらせている。

「うんv私アイス好きなのvv…クロム嫌い?」

大きな瞳で上目遣いに見るアイリスに、クロムは思わず詰まってしまう。

「ぃゃ…好きだけど…ι」
「好きなのに2段でいいの?」
「…普通は、そういうもんじゃないのかな…?」

押しの強いアイリスに、クロムの顔も引きつる。

「そうかなぁー。私、好きな物はとことんやるのが好きなの。もちろん嫌いな物は死んでもやらない!」

宣言するようにアイリスは言う。
――なんだその偉そうに立てた人差し指は。
このテンションに付き合っていると、自分の方が間違っている気までしてくる。

「すっきりはっきりしたのが好きなんだな…ってうわデカ!!」

自分を納得させようとひとりごちた言葉を言い終わる前に、アイリスが5段に重ねたアイスを受け取っていた。

「あはは〜ιさすがに5段は大きいね〜ι」

――後先考えてなかっただけかい!!

そんなアイリスに、クロムがため息をつこうとした時だった。


「クーロムっ!」

がしっ

クロムの身体にのしかかるものがあった。

この声は女ではない。
重い。とてつもなく重い。と言うことは大男だ。

――知り合いにこんなことするやついたかなぁ。

この危険な街では一歩間違えば命取りになりかねない状況を、クロムはなんとも暢気にそんなことを思っていた。
そして、のしかかってきた人間の顔を拝もうと振り向く。

のしかかっている大男は満面の笑みで、そのなかなか整った顔をクロムに近づける。
ダークブラウンの髪、黒い瞳。
少し悪そうな雰囲気を持っているが、女の子にはべた甘なのをクロムは知っていた。

大男の肩越しに、もう一人、こちらは少し目つきの鋭い、クロムと同じくらいの体系の少年が立っているのが見えた。
彼の方は、グレイアッシュの髪、此処からは見えないが瞳は淡いブルーをしているはずだ。

「…あー!グレイス!ユイト!!」

懐かしさから思わずクロムは声を上げた。

「久しぶりだね、クロム。相変わらず元気そうだ…」

華奢な体系をしたユイトの方が、クロムに話しかけてくる。

「なんだよー、お前ら全然連絡ねーんだもん、てっきり死んだとばっかり…」

遠慮ないクロムの言葉に、ユイトは苦笑する。

「それはひどいなー。…うん、ちょっと2人である計画を立ててたからね。連絡取れなかったのはそのせいだよ」
「計画…?」

クロムが詳しく聞こうとしたとき、ほったらかしにしておいたグレイスの声が聞こえた。

「へー、アイリスちゃんていうんだ。いくつ?」
「16よ。あなたたち、クロムのお友達?」
「あぁ。ま、ちょっとした幼馴染…みたいなもんかな?君は?」
「昨日知り合ったばっかりなの。私、クロムのこと噂で聞い…て…あぁーーーー!!」
「あ゛ι」

べしゃ、と無残な音を立てて、アイスクリームショップ店員の偉大な作品が崩れ落ちた。
後ろで、店員のため息が聞こえる。

「アイス…落としちゃった…ι」
「あーあー5段も買うからだよ…」

クロムは呆れた声を上げる。
それに向かってアイリスは非難の瞳を向ける。

――別に俺が落としたわけじゃないぞ…ι

「ごめんねー、俺と話してたから溶けちゃったんだね…というわけで、どう?飯でも」
「口説いてるんじゃないよ、グレイス」

ユイトは慣れた口調でグレイスに釘を刺す。
しかし敵も慣れたものだ。

「まだ口説いちゃいねーよ、ナンパしてるだけだ」
「同じだ!!」
「まあまあ、でもアイス落ちちゃったし…ね!クロム!ご飯食べに行かない?」

アイリスはそんな2人のやり取りを気にすることもなく、クロムに提案を持ちかけた。
クロムはすでに諦め気分だ。

「ああ、いいよ…グレイス、おごってくれんの?」
「野郎にはおごりませーん」
「ちぇー」


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