このファイルを発見したということは、貴方と僕との間に多少なりとも運命的な偶然が働いたと言っていいだろう。






 このファイルを発見し、そしてそれを開き、読んでくれる気になってくれてありがとう。まずは礼を言おう。
 あなたはファイルの内容であるこの文書が、一体どんな類の悪戯か、もしくは主張を述べるものなのかと気になっているかもしれない。
 その疑問の解消は、この先の文章を読み進める事で成されるだろうという事を伝えておく。


 話の前に僕のことを書いておく。
 僕は科学者だ。特に脳の研究をしている。
 脳、といっても、専門はコンピュータの方だ。
 脳の記憶形式を研究し、それをコンピュータに応用できないかと考えている。



 脳の仕組みをご存知だろうか。
 簡単に言えば、脳は人間を人間という存在たらしめるシステムだ。
 ある事象や感覚、考え方など、様々な外的要因を「記憶」として保存できる。
 そして、それを他の「記憶」に結びつけ、関連付けることによって、そのデータはより強力なものになっていく。

 「記憶」すると同時に重要なのは、――忘れられがちなのだが――「忘れる」ということだ。
 重要なことはこれ以上なく鮮明に思い出せるのに、それほど普段の生活では使わない記憶が、なかなか脳という引き出しから出てこない、という経験は、きっと誰しもが体験したことがあるだろう。
 これは、脳神経の連結が、使われなくなることによって弱まっていく、という仕組みがあるからだ。この「忘れる」という機能を機械で再現するとなると、大変な情報量を必要とし、容易ではない。

 僕はこの研究を完成させるのが夢だった。
 ある時は生きた人間の脳を弄り、脳が「記憶」を形成して行く様、そして、忘れていく様を完全にコピーしようと努力した。
 これは、情報データを効率よく使うことが出来るだけではなく、人間の再生――つまり、古臭いSF小説のように言うのであれば「コピー人間」を作ることが可能になるのだ。

 「コピー人間」と聞いて、少し臆してしまっただろうか。しかし、これは必ずしもマッドサイエンティストのみが行きつく理想ではない。

 昨今、脳の病気が人々を苦しめるようになって久しい。
 それが脳の病気であるということが知られた、その病気の存在自体を知っているということが苦しみの元であることは否めない。
 だが、病気であると判明した以上、それを予防するのと同じように、治療の方法も考えられるべきではないか。
 今では、人々は臓器を移植したり、新たに作ったりと、長生きするために科学を使うことに躍起になっている。
 しかし、ひとつだけ、絶対に入れ替えることが出来ない臓器がある――それが、脳だ。


 僕は、その臓器の移植を可能にする方法を提示していると言っていい。


 しかし、僕の考えは世間には認められないものだった。
 ……もしかしてあなたのように、彼ら――ここで言う彼らは学会の人々だが――は、「脳のデータをコピーする」ということに恐れおののいてしまったのだ。

 その技術は確実に完成に近づいていた。僕は自身でその研究を完成させるべく、自分の脳をコピーし続けた。
 記憶は日々膨大に蓄積されていく。
 しかし、それに追いつくような技術も確立し、そのデータを圧縮し、別の媒体に転送することさえ可能にした。

 このデータを、新たな体を作り、それに残すことで、僕の命は半永久的に存在することになる。
 「記憶」というデータは我々の存在を示す。これで、僕自身の肉体が滅びても、新たな肉体さえ作り出せば、僕は永遠を手に入れ、更なる研究を行うことが出来る。――そう考えたのだ。 

 ところが、「その時」が来るのが、僕の予想をはるかに上回っていた。
 ……僕の命が尽きる時がやってきてしまった。
 彼ら――ここで言う「彼ら」は、僕にも正体がわからないが――が、突如僕の命を、暴力的に奪ってしまったのだ。

 僕は絶望した。
 データの圧縮も、転送も出来る準備が出来ていたのに、それを行う「肉体」を失ってしまっては、それを実証することが出来なくなってしまう。
 僕は絶望した。
 そこまで出来ていたのに――永遠に続く回廊のその一歩目で、躓いて転び、骨を折って二度と立ち上がれないと宣告されたようなものだ。
 僕は絶望した。
 僕が夢見た永遠は――

 この世には、永遠なんて最初から無かったのかもしれない。

 けれども、それでも、(データの)僕は諦めることが出来なかった。
 そして、(データの)僕はやっとこの答えにたどり着いたのだ。

 僕自身の体が――もっと限ってしまえば、媒体である脳が、その役割を必ずしも果たす必要はないのだ。
 僕というデータ、それさえ永遠に残れば、僕が夢見た永遠は達成される。
 永遠、という、終わりなきものに「達成」という言葉は似つかわしくないかもしれないが、それはとても素晴らしい考えに思えた。

 そこで僕はそのためのプログラムを作り上げた。
 それは、ネット、もっと言えば、人々の繋がりそれ自体を、僕の脳にしてしまう、という考えだ。

 人々は、日々誰かに会い、言葉を交わし、記憶を一部分ずつ共有し、生きている。
 それが少しずつ更新され、新しくなっていくことで、記憶と忘却を繰り返す。
 その生まれながら死んでいく過程に、僕のこのデータが何処か一片でも残っていれば、そこから総てを再生させることすら可能だ。

 そして(データの)僕は、すぐさまその考えを実現すべく、行動を始めた。





 なぜこんな話をしたのか、という理由を述べたいと思う。
 先に述べたように、僕は記憶というデータを圧縮し、転送することを可能にした。
 それはもともと人間の肉体に施そうとしていた技術だ。

 人間が脳へ刺激を与える時、その入力は、80パーセントを眼が行っている。
 僕が人間の肉体――脳に入力する時の技術も、その「眼」を使うことを前提としている。

 ――もうお気づきになっただろうか。
 (データの)僕は、これを読んでいるあなたの視覚に対し、ある波長の刺激を与え続けていた。――それこそが、僕が作り出した技術、つまり、肉体に僕の記憶のデータを転送させるという技術だ。
 今この瞬間にも、僕が永遠に遺したいと思っていた僕のデータをあなたの脳の中にダウンロードさせてもらっている。
 騙し討ちのようになってしまって申し訳ないが、ここまで読んでくれたあなたなら、その事を理解してくれるだろうと期待する。


 この後、ある文字列をあなたが認識することで、この作業は終了する。
 あなたが僕の一部に、僕があなたの一部になることを、僕は歓迎する。









































 「ここから世界は僕になってゆく。




















































 作業を終了しました。









































































2006.12.31
反転



SS4つめ。 memory
7永遠なんて最初から無かったのかもしれない



「」内も反転してみるとなんか出ます。

年越し前に書く内容じゃねえなあ……(笑)




あ、なんか知識とかはあんま詳しくないので信用しないでくださいねw
ただ認知は視覚が80%って所だけは裏が取れてると思います。(テケトー)





ちょっと奏廻の設定と被るところがありますが、これは全然関係ありません。
むしろネタ切れかもしれませ(ry










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