川岸





「行かなくていいの?」
 ――いいんだ。





 夕陽が沈む土手の道を、ポツリポツリと人が行く。
 担がれた棺。
 鳴らされる鉦。
 厳かに進む無言の足音。

 川を背にその列を見上げる。
 黒装束の人々は、流れる音の下流へと進んでいった。

 彼らは、あの棺に詰め込まれた人のことを、本当は何も知らない。
 誰と話し、誰と笑い、誰と慰めあって……誰と、逃げたのか。

 逃げることから逃げた人間はこうして、卑怯にも遠くから眺めている。
 誰も、あの人と一緒に『此処』から逃げようとした人間のことを、知らない。


「――でも、最期まで一緒だったんでしょ?」
 ――だからこそ。


 だからこそ、本当の最後まで、見届けることは出来ない。
 知っているからだ――その資格がないことくらい。

 逃げることから逃げた人間が見届けることが出来るのは、
 逃げることから逃げる、前までだ。

 愛し合っていた――と、妄想していた。
 総てを受け入れられる――と、幻想していた。

 あの人々は、棺の中の人を本当には知らない。
 何のために逃げたのか――何のために、終わったのか。




 夕日が沈んでいく。
 のろのろと進む人の列が、ようやく視界から消えて行く。
 急いたような声が、耳元で囁く。


「本当にいいの? いなくなってしまうよ」
 ――追いかけていったところで、もういないんだよ。


 これから失くすのは、体だけだ。
 魂魄の、魂はすでに『此処』にはないんだ。
 魄だけが『此処』にあっても意味がない。
 魄が焼かれても、もう熱いと思う意識もないんだ。

 
「それでも、あの人だよ。あの人だった、モノだよ」
 ――……本当のことを言うと。

 哀しいとは思わないんだ。
 寂しいとは思わないんだ。

 感情が沸いてこないんだ。
 どうかしてしまったんだ。

 あの人はどうして、どうしてあの人だけ。
 自分はどうして、どうして自分だけ。


 苦しみを、分かち合ったはずだった。


 手首を赤い紐できつく括って。
 深く、深く指を組み合わせて。
 同じになってしまえるように。

 ――ひとつひとつが違う『此処』は、あまりにも恐ろしかったから。

 抱き合って。
 一歩進んで。
 ひたひたとほとりを進み。
 冷たい水に。
 生温い闇に。

 ひくつく咽喉。
 流れに逆らう足。
 痛みを訴える皮膚。
 尖った石が手を裂き、頬を裂き――紐を、裂き。

 身体という皮袋から、納めていた水が沁み出していくようだった。
 生命という水が、こぼれだしていくようだった。

 あの人はすぐに意識を失い。
 自分はいつまでも明瞭だった。



 薬が足りなかった。



 急に、恐ろしくなった。
 隣に括られていたあの人は、もう逃亡に成功していた。
 その姿は、静かで、冷たくて、美しくて――恐ろしいものだった。
 明瞭とした朦朧の中で、薬でも水の冷たさでも飲んだ水の量でも逃げられなかった人間にとって、もう逃げることすら恐怖だった。

 かろうじて繋がれた冥府との絆。
 それを断ったのは――


「そうして逃げることからも逃げたの?」
 ――そうして、逃げたモノからも更に逃げている。


 最後になるはずだった逃げ道を背にしている。
 その激流の音は、あの人の責める声にも似ている。

『どうして一緒に』
『なぜひとりで』

 本当に逃げたいと思っていたのだろうか。
 それとも、逃げたことを後悔しているのだろうか。

 唯一同じだと思っていたあの人も、結局は違うモノだった。
 本当に同一だったと思っていた自分さえも、違うモノになってしまった。


「それじゃあ、まだ逃げるんだね」
 ――そうだね。


 逃げ切れないことも、知っているけれど。


 一瞬の閃きを見せて、日は沈んだ。
 人々の列は、音もなく火のもとへと向かう。
 土手を見上げる人影に、彼らは最後まで気付かなかった。



「もう行くの?」
 ――……行かなくちゃ。


 また逃げなくてはいけない。
 違うモノからも、
 逃げることからも。

 藍色に染まる空の下、逃げることから逃げた人間を責める声の上流に向かって、

 人影がひとつ、歩き出した。


































8 葬列



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2007.02.11



こんな風になったのは京極夏彦を読んだ所為だ!!!(責任転嫁)

モチーフはあれです、太宰治の心中の話……(下地になりきってないけど)

あ、これ一人称と二人称が出ないように頑張ってみましたw
(「自分」が一人称っぽいけどそこはそれ)




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