garden






 どうして、と何度も問いかけた。


 返ってくるのは、いつでも記憶の中にいる彼の、曖昧な笑み。




 ざあっ、と、風が渡る。
 広がる花壇には、季節の過ぎたコスモスの残骸。
 赤茶けて萎れている花が、億劫そうに首をもたげている。

 風は冷たい。
 冬になればここは、深い、深い雪の白さに閉ざされてしまう。

 大きな屋敷だ。
 シンメトリーに凝ったつくりの屋敷。
 大理石の玄関、大きくとられた階段、吹き抜けから見えるステンドグラス。
 個人邸とはとても思えない、無駄とも思える豪華さ。……この悪趣味さだけは、何年この屋敷で働いていても理解できなかった。

 たった一人の主人――彼、のためだけに作られた、大きな大きな「療養所」。
 そう呼ばれるゆえんは、彼が自嘲気味に自らを「病人」と称していたことにある。
 別に本当に病気だったわけではない。
 彼曰く「私は外に出ると死んでしまうんだ」ということだったが――つまるところ、単に相当の出不精だったのだ。

 それでも、彼は自分の敷地である庭には頻繁に出てきていた。
 その屋敷の庭の手入れをするのが、庭師である僕の仕事だった。

 彼は、僕にあてがっている庭師の詰め所によく遊びに来ていた。
 自分で建てた悪趣味な豪邸の癖に、「どうも気が滅入るんだ」なんていいながら、汚くも綺麗でもない狭い詰め所なんかで僕と話をする。

 風変わりな人だった。
 傍若無人で突拍子もないことを突然言い出したり。
 それでも、雇う使用人に気を配り、慕われていた。
 もちろん、僕に対しても態度は変わらず、むしろそれ以上に親しくしていた。

 いい主人、だったと思う。
 そう、いい主人だった。
 よく笑って、話して、時には自分でも土をいじったり、枝を切ったりしていた。

 主人で友達、という、奇妙な関係。
 それでも僕は、その関係に満足していた。……皆にとっても、幸せだった、と思う。


 それなのに。

 彼は、突然いなくなってしまった。



 奇しくもそれは、彼が嫌がっていた一族の会合へと向かう途中だった。
 使用人である僕らにとって、その会合がどんな意味を持っているのか、なんて知らない。
 ただ確かなのは、彼は、その会合に行く途中で……酷い裂傷を負って、不自然に死んでしまった、ということ。

 憶測はさまざまな妄想を呼んだ。
 本当に外に出ると死んでしまう病気だったんじゃないか、という冗談を言うヤツ。
 会合自体に裏があって、彼がなにか不都合なことを知られている人間が殺したんじゃないか、と嘯くヤツ。
 単なる事故だろ、と切り捨てるヤツ。

 僕には、そのどれもがどうでも良かった。
 ただ、彼が――いなくなってしまったことだけが、ただただ、哀しかった。


 彼が植えるのを手伝ってくれた、枯れたコスモスが揺れる。
 一人、また一人と使用人たちは次の仕事を見つけ、「療養所」を去っていった。
 ここには、もう何もない。
 彼一人がいなくなっただけで、この屋敷は、ただのだだっ広い孤独な世界に変わってしまった。


 あの日。
 出掛けに使用人たちの中で最後に会ったのは、僕だった。

「いってらっしゃい」

 少し手を振りながらそういうと、彼は、困ったように眉尻を下げて、曖昧に笑った。
 じっと、僕の顔を見るようにしてから、ゆっくりと唇を開いて、

「……いってくる」

 そのまま、帰ってきてはくれなかった。


 ぼんやりとその乾燥した葉を見ていると、彼のその曖昧な笑みを思い出してしまう。

 どうして、と、幾度も去来した虚しさが押し寄せてくる。
 考えても仕方のないこと。
 それでも、思わずにはいられない。

 どうして、貴方は死んでしまったんだ。

 ――ここには、貴方がいなきゃ、何も無いのに。


 無性に悔しくて、哀しくて、目の前に広がるコスモスの葉を引きちぎる。
 もう無用だ。
 この花壇に、生き生きとした花を植える必要もない。
 荒れないように整える必要もない。

 なぜなら。
 見てくれる人がいない。
 喜んでくれる人がいない。
 ……笑って、くれる人が、いない。

 この世界を、この小さな「療養所」というひとつの王国を作り上げてくれた彼は、もういないのだから。


 ざく。
 毟り取る葉の下に、何か異様な感触があった。
 掘り返したような、跡。
 下に何かがあるような、奇妙な感触。

 気になって、素手でそこを掘り返してみる。と。


「何、これ……ゆ、び?」


 人の、指がそこにあった。
 指をたどると、掌。
 その向こうに、手首が見える……。

 ――人が、そこに埋まっていた。



 驚愕に打ち震えていると、ふと背後に気配を感じて、思わず振り返る。
 ザクッ! バシッ! と激しい音を立てて、見つけた指が途端にはじけたように見えた。

 そこには、指のかわりに――斧が、刺さっていた。

「な――!!」
「いつになったら出て行くのかしら、貴方は」

 見たことのない女が、そこにはいた。

「あ、なたは」
「やあねー、この屋敷の主人、誰だと思ってるのォ? あたしよ、ア・タ・シ!」
「な、に言って」

 ニタァ、と、いやらしく笑うと、女は三文芝居の台詞でも詠うように、大仰に手を振りかざした。

「アタシがこの屋敷の本当の主よ、庭師サン。あの男はアタシの夫。とはいえ、婿養子だったんだけどね」

 まあ、知らなくて当然よ。と、理不尽なことを言いながら、女はその手に斧を取り戻した。

「外に出るなって言っておいたのに、勝手に出るのが悪いのよ、あいつ。せっかく顔はいいから、傍においておいたのに。裏切られたわ」

 何を言っているのかわからない。
 混乱が言葉を拒絶し、彼女の、その存在さえも夢の産物にしてしまおうと頭が逃避を始めたのがわかった。

 裏切られた? 彼は、一族の会議に行ったんじゃなかったのか……?
 いやそれよりも、なぜこの女は主人だといいながら、一度も僕に会ったりしていなかったのか……?

「まさ、か……」
「言いつけが守れない子はいらないわ。殺しちゃった」

 裂傷。
 斧。
 それに、「療養所」……。

 なんてことだ。
 ここは本当に「療養所」だったのか……。
 全ては、彼女を隠すための――


「貴方はあの男のお気に入りだったし、私も窓から見る庭は気に入ってたから見逃してあげようと思ってたけど……見つけちゃったもの、ねえ?」

 指。
 斧でえぐられた所為で体の部位が先ほどよりも多く露出している。
 指が無くなった手。
 その手首にある時計には、見覚えがあった。
 あれは、確か、バトラーの……

「全部おしまい。ここにはもう何もいらないのよ。だから、全部消しちゃおうと思って。だから……ね?」


 ぐらり、と、視界が歪む。
 足に根が生えたように、体が動かなかった。
 女が、斧を構える。
 その顔が愉悦に歪んで――



 ――ああ、やっぱり。

 貴方がいなくなった今、ここにはもう、何も無くなってしまっていたんだ。


 貴方の笑みが、意識に一瞬浮かんで、消えた。
































2 貴方が居なきゃ、何も無いのに



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2007.12.08



話のレパートリーが少ないって言うか、
キャラの引き出しが少ないなあと自己嫌悪に陥った作品。

しばらく試験で文章を書いてなかったのでリハビリも兼ねて。




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