a will




 本当は、もっとちゃんとした形で、あなたにこの言葉を伝えたかった。
 だけど、今はこれしか思いつかないから、こうしてここに書き留めることにします。


 あなたが、好きでした。


 過去形になってしまうのは、やっぱり変えようもなく、あなたがこれを読むのは、私があなたの前からいなくなっている時だと思うからです。
 それがどのような状況であったとしても、そのこと自体は以前からわかっていたことで、そうなるのは確実だと思うから。

 あなたの傍で、ただあなたの気配を感じているだけで、私は幸福でした。
 生きていることすらままならない私に、生きる喜びを与えてくれたのは、あなたでした。

 直接顔を会わせたことはないけれど、あなたがいた気配、あなたが触れて動かしたもの、あなたが書いた文字をたどるだけで、私の空洞だった体に、温かいものが溢れてくるようでした。


 本当のことを言うと、私はあなたのことをよく知りません。
 これは当然のことだし、何を言っているのかと笑われてしまうのかもしれないのですが……。
 私はあなたのことを、本当は一番よく知っていなければならなかったような気がするんです。

 その欲求は、今、私の意識が保てないような朦朧とした状態でもはっきりとわかるように、それこそが私の存在意義だったのではないかと思えるほどに、強いものでした。
 そして、それが強くなればなるほど、あなたのことが私という存在から切り離せない、とても濃密な関係を築いているような、そんな気がしていました。


 結局の所、私は顔も名前も性格も知らないあなたを、どうしてか愛してしまっていたのでしょう。


 不思議な感覚なのですが、その欲求が今ようやく――ようやく、満たされていくような気がしています。
 そして、同時にそれが、私を殺そうとしていることも、よくわかっています。

 今、私の生きる意味が消失しようとしている今、どうしても私が、私として存在していたことをあなたに伝えたくて、筆を取りました。
 混乱させてしまったらごめんなさい。
 それがわかっていて、それでも、どうしても私はあなたに、伝えたかったのです。


 私は、あなたが好きでした。

 だから、もうあなたは、あなた自身を――


















 ふと気がつくと、私は白い病室の、白い机の上で、白い紙に何かを書いていた。

 意識が途切れて、私の意思とは別の動作をしていたのはこれが初めてのことではない。
 格別何かを感じるわけでも泣く、私は広げられた紙に視線を滑らせた。
 白い紙に描かれた「モノ」は、何の図形なのか、うつらうつらとしながら勝手に手を滑らせたような線だった。
 文字だとしたら、読んだこともない未知の文字、と言っていい。

「何書こうとしたんだ、私……」

 独り言を呟きながら、くしゃくしゃとその紙を丸める。
 紙は悲鳴を上げて一部が破けたが、構わず固く丸めてくずかごに投げ入れた。
 淵にバウンドして、コン、とナイスイン。

「お見事!」
 隣に寝ていた骨折患者が拍手する。
 ――先日思わぬことから、恋人同士になってしまった、彼が。

 えへへ、と照れ笑いを返して、何年か振りの「幸せ」を思う。
 いろいろあったけれど、やっと、ようやく私も誰かを愛することが出来た。
 それが、こんなにも嬉しいことだったなんて、以前の私にはわからなかっただろう。

 人を愛することによって、私は自分自身を、ようやく好きになることが出来たような気がする。

 愛することを知らなかった私は、今の私の持っていない何かを持っていた気がするけど、それは、スレたような強さとか、自分が傷つかないように持っていた壁とか、そんな小さなものだったように感じる。
 今、ここにある幸せは、私にとって神に等しいくらいに、偉大だ。


 同じように吊られたギプスの足を並べて、私は隣の彼に笑いかける。
 不思議そうに首をかしげる彼に、改めて言うのも変だけど、伝えたいから言葉を紡ぐ。






「私は、あなたが好きです」


































4 遺された者の選択



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2007.03.16



……偶にはこんなハッピーエンド。
一人の幸せのためには、誰かの犠牲があるんだよ、ってことで。




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