File No.xxx(Supecial Seacret)

 呪術






*1
 6月17日午前10時。ワシントンDC、日本大使館。
 日本大使令嬢、ミノリ・ナカヤマ宛に、差出人不明の小包が届いた。
 メイドが部屋まで届けたその小包を、持ち上げたり軽く振ってみて、中身を確認しようとする。
 小包そのものは軽い。かさかさというかすかな音がする。小さな何かがいくつも詰まっているようだ。

「みっしりと何かが詰まっていると言うわけじゃないんだな」

 一人ごち、ベッドの上で梱包を解き始める。包み紙を解くと、ボール紙で出来た小さな箱が現れた。その箱の蓋を開けると、途端にミノリは目を背け、箱をベッドから払いのけた。
 箱の中には、べったりと黒く塗られた藁人形が詰められていた。放り出された弾みで、藁人形は床に散らばった。
 ミノリは大急ぎで荷物を纏め始めた。

「お嬢様?!」

 階段を駆け下りるミノリにメイドの一人が呼びかけるのも聞かず、セカンドバッグに詰めた荷物だけを小脇に抱え、ミノリは大使館を飛び出し、タクシーに飛び乗った。


 その日の夜、ミノリの不在に乗じて、メイドの一人が部屋を掃除にやってきた。ブルネットの髪に、青い瞳の小柄な女性である。一応ノックして、ドアノブを回す。
 ドアを開けて中に入った彼女は、その途端に凍りついた。
 床に転がった藁人形、ベッド、テーブル。

「何これ、気味が悪い……」

 そう言って引き返そうとしたとき、突然電気が消え、背後でドアが閉まった。

「ねえ、ちょっと!!」

 ドアノブを回すが、頑としてドアは開かない。

「開けてよ! 誰? こんな悪戯…!!」

 激しくドアを叩く音のせいで、彼女には聞こえていなかった。
 背後の藁人形が、一斉に立ち上がったのを。
 立ち上がった人形の腹から、銀色の光が走り、女の首筋に刺さった。

「Oh!!」

 首筋を押さえて振り向いた彼女に向かって、無数の銀の光が飛び掛った。




 カリフォルニア、午後10時。海岸沿いのホテルの一室。壁一面にはめ込まれたガラス窓の側に、一人の男が立っている。その後ろで、黒いシルエットが籐椅子に腰掛け、髪の毛をブラシで梳いている。

「呪いって言うのは、本当に効くのかい?」

 金褐色の、癖のある短い髪をした長身の男は、遠い窓の外を見ながら、歌うように話しかけた。青みを帯びた、海岸の月明かり。男の、痩せた頬を、いっそう陰影の深いものにしている。室内は、窓の近くだけが切り取られたように明るいが、部屋の中は塗りつぶしたように暗い。

「まあ、呪術が本当に効くかどうかは、私にはどうでも良いことだ……」

 そう云うと、背後のシルエット手を差し出した。闇の一部に、その手が触れる。と、すぐに払い除けられた。

「気安く触るな」

 闇の一部が立ち上がり、明るい窓辺に踏み出した。背の真ん中まで伸ばした黒髪。白いレースと黒いベルベットのワンピース。不機嫌そうに唇を曲げたベビーフェイスを、男は楽しそうに見下ろす。からかうように首を傾げて、男は部屋を後にする。ドアを閉める音が、無機質に響いた。

「警告はしたぞ……。恨まないでくれよ」

 そう呟いて、ドアに背を向けた途端、再びドアが開かれた。

「ゾンビmジャンク」

 彼女は、身じろぎもしない。

「良かったら、ラウンジで一緒にお茶でも…」

 そう言った途端に頬すれすれに釘が飛んできた。

「…手厳しいね」

 その一言の語尾を追うように、次はクッションが男の顔面に着弾した。




*2
 6月18日の午前11時。ワシントンDC,日本大使館。

 「あら!」

 日本大使館前。車を降りたスカリーは、数歩後ずさった。

「どうした、スカリー?」
「猫よ…。轢かれたのね」

 スカリーの足元には、腹部をタイヤで潰された猫の死体が転がっていた。

「可哀想に」
「保健所に電話して、持っていってもらおう」

 そう言って、モルダーはスカリーを促した。スカリーは、モルダーの背中を睨みながら、猫の死体を避けて、モルダーに追いついた。

「被害者はローズマリー・スペンサー、24歳。去年の春からこの大使館に雇われたメイドだ」
「殺害の動機は?」
「さあな。ただ、手口から言って怨恨という可能性も高い」
「無数の針で、滅多刺しにするほど恨みは深いということ?」
「相当の悪女だったんだな」
「そのようね。ところで、大使はどこなの?」
「三日前からカリフォルニアに飛んでいるよ。彼女は体調不良で残ったらしい」

 大使館の入り口には、数人の警察官が警備についている。彼らの前を通り過ぎつつ、「FBIだ」と、身分証明書を見せ付ける。

「現場は?」
「こちらです」

 警察の一人に先導されて二階への階段を上り、上がってすぐの廊下を右に行った突き当たりにある白いドアの前にやってくる。
 そこには、一人の女性が所在無げに立っていた。
 若木のようにしなやかな、隆起の少ない体躯。少年のような、性差の未分化な身体を、白いカーディガン、グレイのパンツで覆っている。そしてなぜか、左手だけ黒い手袋をしている。

「彼女は?」

 前を行く警察官に小声で尋ねると、彼もまた声を低めて、彼女が日本大使令嬢、ミノリ・ナカヤマだと答えた。不意に、所在無げにしていた彼女が、彼らを振り向いた。
 目の上で綺麗に切りそろえた薄い前髪。肩まで伸ばした黒髪の毛先が、軽く踊っている。微風にも踊る、柔らかな軽い髪。
 白い顔は、唇の色まで淡すぎる紅色。そして頬に全く赤みが無い。
 綺麗な目元をしている。オニキスの瞳を、眠そうにしばたかせて、少し悪戯っぽい笑みを浮かべて見せた。

「始めまして。ミノリです。モルダー捜査官、スカリー捜査官」

 呆気に取られる二人に対し、警察官はまたしても小声で、

「二人のことは前々から……」

 と、小さく付け加えた。
 ミノリの目の前まで二人を案内すると、彼はすぐに持ち場に戻った。白いドアの前に、三人が取り残される。

「自己紹介は省いて良いんだね?」

 と、モルダーが尋ねると、ミノリは無言で頷く。

「後で話を聞かせてもらえるかしら?」

 スカリーがそう切り出すと、またしても無言で頷く。
 瞬きさえなければ、まるで自動人形。彼女には、生きた女性という雰囲気がまるで無いのだ。
 白い指先が、銀色のドアノブを握った。骨を削った彫刻のような、白い指。

「事件現場へようこそ」

 開け放たれたドアの中には、べったりと黒く塗られた藁人形が、床の其処此処に転がっていた。
 オフホワイトのカーペットにたっぷりと吸い込まれた血痕が、未だに生々しい血の色をしている。

「Oh,my god……」

 スカリーが、思わず呟き、

「予想以上だな」

 本気とも冗談とも取れない声で、モルダーが呟いた。




*4
 スカリーとミノリは、一階の応接室へと場所を変えた。モルダーは、現場に残って検証を続けている。

「心当たりはあるかしら?」

 単刀直入に切り出すと、ソファーに完全に体重を預けたミノリは、白い指先を白い額に当てた。境界を失ってしまいそうな、白さと白さ。

「有ると言えば有る、無いといえば無い」

 意味深な答えに、スカリーは

「と言うと?」

 と、続きを促す。ミノリは、決してスカリーを見ようとしない。この瞬間にも、首を傾けて視線を泳がせている。

「知っているだろうけれど、私の父は日本大使、レイジロウ・ナカヤマ。日本を快く思わないテロリストには、格好の標的。でも、私自身には…覚えは無い」
「なるほど」

 テーブルの上を見つめて、しばらく事態を整理していたスカリーが、ふと視線を上げると、ミノリの視線とかち合った。
 観察者のような視線とまともに見合ってしまい、次の言葉が出てこなくなったスカリーだが、スカリーの言葉よりも先に、ミノリが視線を窓の外へと向けた。

「ミノリ。その、今回の事件に関して脅迫状のようなものは、以前に受け取ったことは無い?」
「ある」
「見せてもらえるかしら?」
「もう見てるじゃない」

 理解できないというように、スカリーが首を傾げると、ミノリは身体をねじって、背後を見た。

「あの黒い藁人形。あれが既に脅迫状で警告なの」
「あれが?」
「そう」

 そうして振り向いたミノリは、ようやくスカリーを見た。それも、真正面から真剣に視線を向けるのではなく、少し上から、曖昧に見下ろすように。

「あの人形自体が警告だと思う」
「そう……。ところでミノリ……、相手に、心当たりは?」

 ミノリは、無言で首を横に振った。
 手がかり無し、と心の中で呟いて、スカリーはため息をついた。

「スカリー」

 声のした方を向くと、ドアのところでモルダーが手招きした。

「失礼」

 席を立ち、モルダーの傍へと歩み寄ると、スカリーが尋ねるよりも先にモルダーが口を開いた。

「部屋の中の藁人形には、髪の毛が入っていたよ」
「それじゃ、すぐ鑑識に……」
「もう回してある。この髪の毛で、あの藁人形が呪いかどうかはっきりするな」
「……呪いですって?」

 怪訝そうなスカリーに、モルダーは若干得意げな表情をしてみせる。

「そうだよ。日本の伝統的な呪いだ。藁人形の中に、憎い相手の髪の毛を入れ、相手に見立てて釘を打ち込む。ただし、その姿を他人に見られると、呪いは術者本人に帰って来る」

 スカリーはため息をつき、改めてモルダーを見上げた。

「この事件は呪いだとでも言いたいの?」
「大いに有りえると思うね」
「モルダー、彼女はこの人形は呪いでは無いと言っているわ」
「……なんだって?」

 スカリーは、肩越しにミノリの方を向いた。ミノリは、ソファの上で足をぶらぶらさせている。

「あの人形は、警告だと……。彼女がそう言ったわ」

 ふと、スカリーが、モルダーが右手を庇っていることに気づいた。

「どうしたの?」

 たずねると、罰の悪そうな顔をして、右手の人差し指をスカリーの前に出して見せた。小さな赤い点が、二つ並んで付いている。指紋に、未だ新鮮な血が滲んでいた。

「針だよ、あの人形の中に入っていたんだ」
「悪質ね」

 眉を寄せて、不快そうな顔をするスカリーに、モルダーは唇を近づけた。

「検死のほうを頼むよ」

 スカリーは、肩越しにミノリを振り向きながら言った。

「多分失血死よ」





*5
 黒い人形。
 黒は穢れ。
 黒は死体。

 死ねという暗号。死という呪術。
 逃げられるか、戦うか。
 分からない。
 
 なぜ、警告した?




 6月18日午後7時30分。モルダーは大使館から5kmほど離れたホテルに、ミノリを訪ねた。
 ベッドの端に腰掛けたミノリは、ずっと俯いたまま、手元に長方形の紙を置いて、しきりに筆を動かしている。。
 不意に、ノックの音がした。顔を上げずに、「Come in」とだけ言う。ノブが廻り、入ってきたのはモルダー捜査官であった。

「やあ、今良いかな?」
「どーぞ」

 ぶっきらぼうに呟くミノリの前に、モルダーは近くのテーブルから椅子を引っ張って来て、それに座った。ここでも、ミノリはモルダーを見ようとしない。
 しばらくの沈黙の後、モルダーが口火を切った。

「あの人形は、何処から?」
「さあ。差出人不明の小包で、昨日の朝届いた」
「なぜ、あれが警告だと?」

 モルダーの問いに、ミノリは一瞬だけ視線を上げた。

「黒は穢れ、黒い人形は死体。私に、殺す、と言ってきた」
「心当たりは?」

 ミノリは、首を横に振ったが、途中で何か思い出したように止まった。

「そう言えば」

 モルダーが身を乗り出す。

「学生時代の友人に、呪術だの魔法だの趣味にしていた友人が何人かいた」

 モルダーが何か言いかける前に、

「でも、もう連絡先とか分からない。昔のことだし、日本でのことだからね」

 昔のこと、という部分に、ミノリは暗に力を込める。振り向いたモルダーは、それ以上のことを尋ねることのできない雰囲気に、一瞬口ごもったが、ミノリの手元を見て、眉をひそめる。

「何を書いているんだ?」

 ミノリは答えずに、手元の紙を隠した。モルダーは首を竦めて窓の外を見た。

「失礼」

 全く悪いと思っていない口調だが、ミノリは咎めるのも面倒くさそうな顔で、再び手元を見る。そして、ふと、

「何で、警告したんだろう」

 と、呟いた。モルダーが、再び振り向く。

「すぐに襲えば、あるいは今頃私は死んでいたかもしれないのに」

 モルダーは、ミノリの前にやってきて、その肩に優しく手を置いた。

「……昔のことって、何だい?」
「昔のことだよ」
「いつ頃?」

 ミノリはため息をついて、モルダーを見上げた。

「昔のことは、昔のことだよ」

 きっぱりとそう言い切ったミノリの態度に、モルダーは矛先を変えた。

「君は、呪いには詳しそうだね」
「別に」

 モルダーは再び椅子に腰掛け、ミノリと向かいあう。

「あの人形は、本来呪いに使うものだろう?」
「まあ、そうかもしれないけれど……」
「はっきりしないな。それならどうして、君はあの小包の中身を見た後逃げ出したんだ?」
「それは……」

 曖昧に言葉を濁すミノリに、モルダーはきつい表情で詰め寄った。

「君はあの警告の意味を知って、そして逃げ出した。本当は死者が出るということも分かっていたんじゃないか?」
「わかっていたよ!」 

 突然、ミノリが大声を出した。

「分かっていたけれど、どうしろって言うんだ! あんな強力な術、私には返すことも破ることも出来ない! 逃げ出す以外に何が…」

 そこまで言って、ミノリははっとして口を噤んだ。モルダーは、してやったりと表情を緩める。

「やっぱり、君には心当たりがあるんだ」

 気まずそうな顔をして、ミノリはモルダーから視線を逸らす。だが、徐に顔を上げ、小さく息を吐いた。

「心当たりは無いよ。でも、私もかつてああした術に携わった身だから、その危険性はよく分かっている」
「話してくれるかい?」





*6
「最初は、面白半分だった。事実、一緒に行動した友人の何人かはすぐに離れていった」

 ミノリの語りは、ぽつぽつと始まった。

「でも、私とあと何人かは真剣に研究を始めた。でも、あくまでも趣味の範囲を出ない程度で、だった」

 真剣に耳を傾けるモルダーと、モルダーを通過して、その後ろの壁を見るような視線で話を続けるミノリ。

「私も知識と技術はある。でも、それをどうこうしようということはない。他愛の無い悪戯程度にしか…。でも、人間にはいろいろいるもので…」
「今回の殺人は、その技術と力を悪用したものか?」

 ミノリは無言で頷き、初めてモルダーを見た。

「あの時期、私達のうち誰もあんな術を使えなかった。時限爆弾のように期限付きで、しかも遠隔操作で人形を使うなんて…。凶器は?」
「針だ。あの人形の中にも入っていた」

 その時、モルダーのセルが鳴った。

「失礼」

 椅子から立ち上がり、部屋の隅で電話を取り出し、アンテナを伸ばす。

「モルダーだ」
「私よ。今何処?」
「ホテルだよ。ミノリの部屋だ」
「検死の結果が出たわ」
「どうだった?」
「やっぱり失血死よ。それと……血管の中から、何本か針が検出されたの。その針を鑑識に回したわ」
「それで?」
「あの部屋にあった人形全てから、針が検出されたの。本数はまちまちだったけれど。被害者の身体から検出された針は、その人形の中に入っていた針と同じものだという結果が」

 モルダーは、そこでセルを手で覆い、ミノリを振り返った。ミノリは、小さく前後に揺れながら、モルダーを見ている。

「やっぱり、呪術だ。ミノリは呪術者に命を狙われたんだ」
「モルダー、少し落ち着いて」
「他にどう考えられるんだ? どうしてわざわざ人形の中に仕込んでいた針を使う必要がある? 犯人はあの人形の中に凶器を入れて、自然と相手を定めて攻撃するように術を仕込んでいたんだ」
「有り得ないわ。大体、ミノリを狙ったものなら、どうしてメイドと間違えたの?」
「彼女はその術を知っていたんだ。だが、彼女にはどうにも対抗の仕様がなかった。だから逃げ出したんだ。そのことは彼女自身も証言している」
「突然の殺人事件に動揺して、そうした空想をでっち上げているのよ。犯人は確かに、ああした形で凶器を持ち込んだんだと思うわ。でも、それは後の面倒を省く為ではないの?」
「針で殺害することのほうが面倒だと思うけどね」

 電話の向こうで、スカリーがため息をつくのが分かった。

「とにかく、そちらへ向かうわ。何号室?」
「108号室だ」

 それで、電話は切れた。モルダーはミノリを振り返り、

「スカリーが検死を終えたそうだ。今こちらに向かっている」
「彼女はなんて?」
「呪術なんて、ありえないってさ」

 ミノリは小さくため息をつくと、顎を指先で押さえた。

「ま、そういうものだよね」




*7
 海辺のホテルの一室。窓際の籐椅子に腰掛けていた黒ずくめの女の横に、金褐色の髪をした痩せた長身の男が大またで近寄ってきた。手には新聞を握っている。女は見向きもしない。

 「しくじったな」

 金褐色の髪の男は、薄いブルーの瞳で黒髪の人形のような女を見下ろした。彼女は、意味ありげに視線をそらせ、首を横に向けて顔を背けた。

「しくじった? 死んだ手ごたえはしたぞ」
「別人だった!」

 声を荒らげ、床に新聞を叩きつけた。途端に気味の悪いくらい優しい声音になり、

「私をやきもきさせて楽しいのか? だとしたら、君は大したものだ」

 と言うと、口元だけの厭な笑みを浮かべた。男は、一瞬でその笑みを消すと、銃口を彼女の米神に憎しみすら感じさせるほどに強く押し付けた。

「早く片付けろ。時間が無いんだ。いいか、二度とは言わないぞ、今度こそ、狙うのは日本大使令嬢の、ミノリ・ナカヤマだ!」
「そんなことは解っている。私を此処で始末すると、後は自分の手を汚す羽目になるぞ」
「分かっている、だが、次にしくじれば殺すぞ」

 その時、奥の部屋で電話が鳴った。男は一瞬逡巡して見せたが、銃口を下げ、電話に向かった。
 彼女は、ガラスを鏡代わりにして、赤い紅を唇に引いた。幼い造りの顔に、その赤は毒々しく映えた。



 ノックの音がした。
 スコープから相手を確かめたモルダーは、

「待っていてくれ」

 という一言を残し、ドアの外へ出た。ドアの外には、スカリーがファイルを手に立っていた。

「モルダー、人形の鑑識の結果を持ってきたわ」
「どうだった?」
「まず、あの人形についていたのは墨汁よ。その墨汁の中から、血液が検出されたわ」
「血液?」
「ええ、A型の女性よ。DNA鑑定にも回したけれど、過去の逮捕者との合致はなかったわ」
「相手は呪術者だ、僕たちに尻尾を捕まれるような真似はしないさ」

 スカリーは、呆れて相棒の顔を見上げた。

「あなた、まだ呪術だと信じているの?」
「ミノリが証言した。彼女も、かつて呪術を研究していたらしい」
「よくあるオカルト趣味の間違いじゃない? 個人レベルで研究した程度で、呪術が使えるようになるなら今頃アメリカ中に魔女や魔法使いがはびこっているわ」
「それを悟られないのが、魔法使いだ。髪の毛はどうだった?」
「……ミノリのものよ」

 俯いて、吐き捨てるように言うと、スカリーはモルダーを押しのけて部屋に入った。
 スカリーの姿を認めると、ミノリは開口一番

「髪の毛は、私のものだった?」

 と聞いた。スカリーは目を見開き、後から入ってきたモルダーを振り返る。

「そうだってさ」

 答えたのは、モルダーだった。ミノリは、一瞬思案顔になったが、すぐに無表情に戻り、

「どうして、私だったのかな」

 と聞いた。
 スカリーは、一瞬迷ったがそれに答えた。

「レニー・アンダルソンという名前を聞いたことは?」
「無い」

 スカリーはミノリの隣に腰掛け、一枚の顔写真を出して見せた。癖のある金褐色の髪を短く刈り込んだ、薄いブルーの眼をした痩せた男だった。

「国際的なテロリストよ。数ヶ月前から、日本大使の周囲にちらついているの。ハッキリした行動は起していないし、逃げ足が素早いからなかなかつかまらないわ。あなたを狙ったのは、きっと大使であるあなたの父親に対して要求があるからね。あなたは、言わば彼の地位を危うくする為に殺されるところだったのよ」

 ミノリはスカリーから顔写真を受け取り、まじまじと見つめた。

「見覚えが?」

 ミノリは首を横に振った。だが、妙に納得した顔をして、

「無い。でも、こういう手合いならきっと雇う」
「雇う? 誰を?」

 モルダーの問いに、ミノリはきっぱりと顔を上げた。

「例え効果の確証がなくても、呪術者の類を雇うね。可能性は高い」

 スカリーは、モルダーとミノリの横顔を見比べた。ミノリは再びレニー・アンダルソンの顔写真に視線を落とした。





*8
 6月20日。ワシントンDC、日本大使館前。
 一台のタクシーが、大使館前に止まった。扉を開けて出てきたのは、ベルベットの黒いドレスを纏った、小柄な東洋人。厭でも人目を引く。
 入り口には、立ち入り禁止のテープが張られ、二人の警官がその周囲を警備している。それらに視線をやるでもなく、また、見ていたとしても気にする風でもなく、彼女は口の中でため息を飲み込んだ。

「本当に、この手で殺る日が来ようとはな」 

 そのうち、警官のうち一人が、彼女に気づいた。

「どうしたんだ? ここは立ち入り禁止だぞ」

 そう言いながら、彼女に近づいてくる。彼女は拳を一瞬握り締め、赤い唇の奥で、歯を噛み締めた。

「それとも、殺られる日が来たのかもな」
「おい、君?」

 そう言いながら、警官が彼女の肩に手をかけようとした瞬間、その懐に半歩踏み込んで、彼女は警官の頬を両手で挟み、目と目を合わせた。

「ミノリ・ナカヤマがここに居るでしょう? 案内してくれる?」

 あわせた彼女の目は、一瞬油膜が張ったようにぎらりとぬめった光を放つ。その光に魅入られたように、彼女の肩に手をかけようとした警官は、その手をそのまま翻し、

「こちらへ」

 と、手のひらを進行方向へと向けて、彼女を促した。

「おい、ジョニー!?」

 一緒にその場に居たもう一人の警官が、事態の奇妙さに気づき、彼女を案内しようとしている同僚に小走りで近づく。しかし、彼ははっきりと確信を持った動きで頷き、

「彼女を案内するだけだ。大丈夫だ」

 と、きっぱりと言い切った。

「だいじょうぶって……部外者は一切立ち入り禁止だぞ?!」

 そう言って彼女へと視線を向けた瞬間、その彼女の瞳が、再びきらめきを放った。油を落とした水の輝きのように、濁った虹色の光が、男の瞳の中に移った。

「私を信用して」

 小首をかしげ、可愛らしく囁きかけると、それまでの疑問が、男の中で嘘のように氷解した。

「アア……。なら、どうぞ。ジョニー、丁重にな」
「分かっているよ」

 彼らは普段どおりの調子で会話を交わし、入り口に張られたテープを持ち上げ、彼女を丁重に中に導きいれた。
 彼女は、赤い口紅を塗った唇を、真一文字に引き締め、怪しげな光を放った瞳で、キッと天井の近くを睨みすえた。
 決意とも、覚悟とも付かないような、厳しさで。



 日本大使館内部、かつてのミノリの部屋は、殺人現場そのままに残されている。
 カーペットに染み込んだ血液は、どす黒い染みとなって、かつての惨劇を生々しく語っている。その染みを見て、ミノリは顔を歪めた。

「さすがに、もう一度ここに住もうとは思わないな」
「お察しするわ」

 ミノリの呟きに、スカリーがいち早く反応した。彼女も、同じことを考えていたらしい。
 モルダーは、部屋の隅にうずくまって、小さな痕跡も見落とすまいと、床を凝視し、時折指先で触れてみる。その背後に立って、スカリーはため息をついた。

「まだ、呪いだと思っているの?」
「それ以外に、何があるんだ?」

 取り付く島の無いモルダーの台詞に、スカリーは再びため息をつき、ミノリを振り返った。だが、ミノリはスカリーとは目を合わせようとせず、窓の外を見ている。黒いTシャツに、細いジーンズ。そして、肩からは銀鼠色の男物の着流しを無造作に羽織り、その前をかきあわせる。やはり、左手には黒い手袋をはめている。窓の外を見ることに、いかにも飽きたといったように視線を翻し、再び床の染みを見る。そして、わずかに眉を寄せ、そのままスカリーを見た。

「呪いにしろなんにしろ、ここで一人死んだ、という事実だけだよ、確かなのは。そして、それが標的の誤解だって言うこともね」
「分かっているわ、ミノリ」

 気丈な声で、スカリーは答えた。

「そして、その本当の標的があなただということもね」
「そして、犯人の姿も見えない、ということも…」

 二人の会話が一瞬途切れた隙に、

「この部屋に一人以上の人間が居た痕跡は無い。スカリー、これは犯人なき殺人だ」

 と、言いながら立ち上がった。
 スカリーは、今回何度目かわからないため息をかみ殺し、モルダーを見上げた。

「モルダー、呪いなんてあるはず無いわ」
「それでも、あの藁人形は調べてみる価値が大いにあるよ、スカリー」
「お腹すいた」

 それまでの緊張感を一気に拭い去る言葉に、二人は一気に脱力した。モルダーが腕時計で時刻を確認すると、既に昼を回っている。二人は捜査の緊張感で空腹を紛らわせられるが、自分が標的だというのにいまいち緊張感の無いミノリは、正直限界に近いらしい。
 モルダーはかつてミノリが使っていたベッドに、無造作にほうっていた上着を引っつかむと、ドアへ向かって大またに進んだ。

「何か買ってくるよ。スカリー、君は?」
「あなたが毎日食べてる中華以外なら、何でもいいわ」
「マクドナルドが良い。コーラは嫌だからジンジャーエール。あ、あと米産の牛肉は嫌だからフィッシュバーガーにして!」
「分かったよ。フィッシュバーガーだね」

 ミノリが何気に日米の貿易摩擦の要因となっている重要事項を口にしたが、モルダーはさして気にも留めない様子で、部屋を出て行った。廊下を抜け、入り口で警備を続けている二人の警官に、小さく挨拶をして、大通りへ出る。
 その後姿を、黒いドレスを着た小柄な影が、窓から見下ろしていることに、彼は気づいていなかった。

「モルダー遅い」
「まだ出て行って五分よ、ミノリ」

 暇と空腹に耐えかねて、無茶な要求も出てくるミノリを、スカリーは柔らかくたしなめる。
 部屋の中をぶらぶらとしてたミノリは、突然ドアに駆け寄り、耳をそばだてた。

「ミノリ……?」
「HUSH!!」

 初めて聞いた、ミノリの厳しい声に、スカリーは一瞬あっけに取られる。そのドアの向こうに、何が居るのか。誰が居るのか、彼女には見当も付かない。

「モルダーが戻ってきたんじゃ、なさそうね」

 スカリーの一言を、今度は無言の視線で制し、ドアの向こうへ厳しい目を向ける。ミノリの髪の毛が、風になびくようにふわりとなびき、小さな破裂音が周囲に響く。ラップ音。スカリーは、音源を探るように頸をめぐらせる。

「ミノリ……」
「黙って」
「何が、起こっているの……?」
「黙ってってば!」

 緊張の臨界点にあるミノリは、激しく叩きつけるようにスカリーに怒鳴った。その迫力に一瞬飲まれたスカリーだが、事態のただなら無い緊迫感をすぐさま飲み込み、腰のホルダーから拳銃を取り出し、構える。今は目に見えない敵に、それが通じるかは彼女自身にもわからないが、銃を手にしたことで、スカリーの表情から怯えも緊張も綺麗に削ぎ落とされ、凛、と張り詰めた女戦士の顔になる。
 そのスカリーを背後にして、ミノリはドアの向こうに佇む敵に対して、緊張を続けた。

「顔、見てやる。今度こそ」




*9
 マクドナルドの袋を片手に帰ってきたモルダーはドアの前に佇む東洋人の女性をを見つけた。部外者は立ち入り禁止になっているはずの、この場所にどうして、彼女がいるのか。その疑問は、モルダーの神経を素早く緊張させ、自然と右手がガンホルダーに伸びる。

「Hey! What are you doing there?」

 その一言に振り向いた彼女の瞳に、ぎらりとぬめる虹色の光が浮かぶ。その光をまともに見てしまったモルダーは、一瞬思考を忘れ、その場に足を止めた。

「動くなよ、フォックス・モルダー」

 その一言で緊張と理性を取り戻したモルダーは、銃を構えて声を上げようとしたが、声が出せない。それどころか、指先をわずかに震わすことすら出来ない。不安が焦燥を生み、額に粘っこい汗が浮く。滴る汗が目に入っても、それを拭うことも出来なかった。その様子を満足げに見つめて、彼女は再びドアへと視線を向ける。突然のラップ音が、火花が爆ぜる音のように響き始めた。


 ドアがめりめりと音を立て始める。
 ドア一枚隔てた不動の攻防戦が繰り広げられる。空気をビリビリと振動させるような、凄まじい緊張がミノリを中心として、部屋中に走っている。その迫力に押されるように、スカリーは机の後ろに後退した。そこから動けない。物凄い勢いで、エネルギーがミノリに向かって集約している。ミノリが前にして立っているドアが、集まってくるエネルギーに耐え切れずに、メリメリと悲鳴を上げている。

 とうとうドアの中央に、大きな亀裂が走った。その途端、ドアが破裂して、細かな破片が部屋中に飛び散った。スカリーはとっさに机の中に隠れ、降り注ぐ破片から身体を庇ったが、ミノリは不動の姿勢を崩さずに、ドアの向こうの敵対者と相対する。

 ドアの向こうには、豪華な黒のレースで飾られた、黒いベルベットのドレスを纏った”人形”が立っていた。すとんと落とした黒髪は、一筋として乱れていない。首に付けられた、銀のチョーカーが、チカッと輝いた。
 真っ赤に塗った唇が、やけにスローモーションで動いた。

「やっと会えたな」

 静かな口調に対して、ミノリには見る見る動揺が走った。あの緊張した空気の中で微動だにしなかったミノリが、想定外の事態に、二歩三歩たたらを踏んだ。

「そんな……! まさか、コウヤさんが!?」

 二人の間に生まれた一瞬の静寂の間に、スカリーは机から飛び出して銃を構え、銃口を黒尽くめの彼女へと向けた。

「両手を挙げて、背中を向けなさい!!」

 ゆっくりと首を回し、彼女はスカリーを見た。スカリーは、じりじりと間を詰める。

「スカリー、手を出してはいけない! 銃なんか通じない!!」

 スカリーは、ミノリの言葉には耳を貸さず、彼女のすぐ後ろに立つ。黒ずくめの人形と、ミノリを挟んで対峙する。その黒ずくめの彼女の隣には、

「モルダー!!」

 不自然なポーズで静止したモルダーを見た。眼球の運動から、意識はあることがうかがえる。

「モルダーに何をしたの?!」

 スカリーは、更に銃を突きつけつつ距離を縮める。
 不意に、黒い”人形”は左手をスカリーに向かってかざした。

「動くな、ダナ・スカリー」

 途端に、体中の全ての制御が失われた。銃口を突きつけ、中腰の体制をとったまま、一歩も進むことも引くことも出来ない。喉も凍りついたように、声が出ない。
 不動の苦しさに、スカリーの額に汗が滲み始める。
 ミノリと彼女は、改めて向き直った。

「そうだったの……だから、警告したの。……コウヤさん」
「なのに、逃げなかったな」
「逃げるのは、一回きり。相手が分かればもう怖くは無い。私がそういう人間だって、知ってたでしょ?」

 ミノリが、静かに彼女に近づいた。スカリーは、ピクリとも動かない喉の筋肉に力を込め、息を懸命に吐き出し、ミノリを止めようとした。しかし、スカリーの無言の訴えにミノリは気づかないように、滑るように彼女へと近づいていく。

「コウヤ・ナカツカさん……」
「今更、か? 警告した時点で、相手が私だと気づいても良かったんじゃないか?」

 そう言って、彼女はミノリを睨む。ミノリは、あえてそのきつい視線を受け止めた。そして、

「……フィッシュバーガー食べてからにして良い?」
「……いいとも」

 ミノリはモルダーに近づき、袋をひったくる。派手に破けたが気にした様子はない。ポロリと零れ落ちたフィッシュバーガーを拾い、がさがさと食べ始めた。

「栄養状態が悪いみたいだな、FBIは」

 食べ終わるのを待つように、コウヤはミノリの食事風景を見つめる。

「お肌に悪くて困ってるんだ」

 大きくフィッシュバーガーを頬張りながら、ミノリが答える。それに、コウヤは嘲るように鼻を鳴らした。

「そういうことを気にする性質だったんだ……。新発見だよ」
「肌荒れは痛いからね。それだけ」

 最後の言葉に力を入れて、ミノリは最後の一口を口に放り込んだ。
 ミノリがその一口を飲み込むが早いか、コウヤがロングスカートから日本刀を取り出して斬りかかった。ミノリは肩に引っ掛けていた着流しの中に手を突っ込み、横に滑らせる。

 一瞬の火花、空気を劈く激しい音。

 コウヤの剣戟を、ミノリが横薙ぎで受け止めた。その衝撃を殺さず、コウジは宙に飛ぶ。半回転して、壁に刀を突き刺し、壁に着地した。
 そして激しい攻防が始まった。

 壁に着地したコウヤを追い、ミノリが壁を駆け上がる。下から切り上げてきた切っ先を、コウヤは鞘で受け止める。その勢いで、壁から刀を抜き、床に飛び下りたコウヤは、廊下を駆け抜ける。
 走るだけなら、上背があり足が長いミノリのほうが速い。たちまち追いつかれ、背中に大上段から振り下ろした一閃。
 だが、空を切った。

 コウヤは宙に飛び上がり、ミノリの背後へ着地する。
 背後から、コウヤは刀を真横に薙いだ。ミノリは、身を屈めてそれを交わす。その背中を蹴り、コウヤは一階へと階段を駆け下りた。
 誘い出そうとしている。

「下には、警官もFBIもいるぞ」
「だから、何?」

 ミノリは、ゆっくりと階段に足を下ろした。

「大多数の中で、このミノリが戦えないとでも思っているのか!」
「勇気があるなら、示して見せろ。実力があるなら、晒して見せろ!」

 下から、コウヤは顎でミノリを誘った。

「覚悟はいいか。俺は出来てる。」

 ミノリは、その誘いに乗った。
 二人は壁を走り天井につかまりして斬りあう。
 壁には無数の深い傷が刻まれ、それが新たな足場となり、戦いの終わりは見えない。
 いつの間にか一周し、ミノリの自室の前まで来ていた。背後に階段があるのを確認したミノリは、その前に立ちふさがった。前には、まだあの二人がいる。

 一瞬立ち止まったミノリに、コウヤは左肩から右脇腹へ抜ける一閃を浴びせた。
 激しい金属音が響き、ミノリの足元に血が数滴垂れた。
 肩に刃が滑り込む寸前、皮膚を数mm切ったところで、危うくミノリはコウヤの刀を受け止めた。

 気合と同時に、ミノリはコウヤの刀を弾き返した。が、鳩尾へ蹴りを貰った。
 ミノリは階段の踊り場から、廊下へと身体を投げ出された。爪先が、肉を越えて内臓を蹴り上げた衝撃に、胃の中のものを戻しそうになる。それを必死で堪えて、倒れたまま後ろへと這う。それを、コウヤはゆっくりと歩いて追い詰めた。肩が上下し、荒い息をついている。疲労を感じているのはミノリも同じだ。立ち上がることも出来ない、といった風を装い、後ろ向きのまま這っていった指先が、硬いものに触れた。
 モルダーの靴。

 ミノリは、モルダーを見上げる。コウヤが、瞬間的にその意図に気づいた。裂帛の気合と共に、コウヤは手にした刀を、槍のようにミノ リに向かって投げつけた。が、それよりも一瞬早くミノリは左手の手袋を取った。左手に巻きつけた式札。黒い風が、手の中から生まれ 、一つの塊となってコウヤへと飛び掛る。

「ぎゃッ!」

 声を上げて払い除けようとした手に、黒い煙のように縋りつき、金切り声を上げてドレスの袖を裂く。

「この、死に損ないのゾンビ猫が!!!」

 コウヤの手が、ようやく煙のようにまとわりつく黒い影を掴む。激しいエネルギー同士の拮抗によるスパーク。和紙を裂く音と共に、コウヤの手の中にはぼろきれのようになった札が握られていた。

「即席式神じゃ、時間稼ぎで精一杯か……。轢死猫じゃ、パワーが弱い」

 ミノリの呟きに、コウヤが赤い唇を捲り上げて歯を剥いた。

「しかも死んで時間が経ってる、式神として使うには役不足だったな!!」

 しかし、コウヤが式神を引き剥がすその間に、ミノリはモルダーの前に立ち上がっていた。

「フォックス・モルダー! 動け!!」

 叫んだ。それと、コウヤが一度捨てた刀を広い、再びミノリに向かっていくのは同時だった。
 呪縛の解けたモルダーは、途端に膝をつき、荒い息をついたが、刀同士のぶつかり合う金属音に正気を取り戻す。咄嗟に銃口がコウヤを向いた。銃口が火を吹き、放たれた黒い銃弾がコウヤの肩を掠める。ミノリはその隙に部屋の中へと駆け込み、スカリーの下へと駆け寄っていた。

「モルダー!」

 部屋から飛び出してきたのは、スカリー一人。そして、とっさに銃口をコウヤに向けた。それを見て、コウヤは、一瞬苦々しく唇を歪めたが、すぐに、声なき声で一声笑った。
 二人が同時にコウヤを撃つ。弾は太腿と肩に命中し、コウヤは床に倒れ付した。ガンホルダーに銃をしまいながら、モルダーがコウヤに駆け寄り、素早く両手を背中にねじりあげて手錠をかける。その時になってようやく、ミノリが部屋の中から姿を現した。

「悪いけど、コウヤさん。おとなしくつかまって」

 そういう声は、悲しい、ともつかない、力ない声であった。コウヤはそのミノリへは一瞥もくれず、モルダーに支えられながら、自力で立ち上がる。スカリーが権利を読み上げ、モルダーに手を引かれてコウヤが外界へと連れられていく。
 その途中でコウヤはミノリを振り迎えった。
 真っ赤に塗った唇から、真っ赤な舌を出して見せた。


 ああ、これが「終わり」じゃないんだ

 でも、これでもう会えなくなるんだね
 さよなら、コウヤさん
 
 ミノリの無言の言葉を、コウヤは聞いていたかいないか、それこそ一瞥もせず、だが俯くことなく、真正面から顔を上げて、大使館のドアを潜り抜けた。




*10
 6月21日午後1時20分、ワシントン・FBI本部。
 先日の一件で事情を聞かれることに疲れきったミノリが、FBIのX-File課を訪れていた。

「やほー」
「ミノリ?!」

 ドアから顔を出した思わぬ珍客に、スカリーはブルーグリーンの瞳を丸くする。

「あなた、どうやって入ってきたの?」
「ソーサラーを甘く見ちゃいけない」
「呪術者……ってあなたね」

 するりとドアから身体を滑り込ませて、後ろ手にドアを閉めたミノリは、手にしていたバッグをその辺の椅子に放り投げた。(ミノリから見たその辺の椅子、とはモルダーの椅子のことである)

「スキナーのおいちゃんには一言通してある。大丈夫大丈夫」

 スカリーは、それ以上聞きたくない、といった様子で頸を横に振った。FBI副長官の認可有りとなっては、彼女には何も言うことは無い。いや、出来ない。

「とりあえず、コーヒーでも?」
「ううん、紅茶がいい。ある?」
「ティー・バッグしかないけれど……それでもよければ」
「いいよー。貸して、自分で入れる」

 スカリーからカップを受け取り、ティー・バッグの袋を開けるミノリの後ろから、スカリーは出来るだけさり気ない風を装って声をかけた。

「あの……、今のあなたに言うのは気まずいんだけれど……。コウヤ・ナカツカといったかしら? あなたを狙った……」
「うん」
「あの子……」

 その時、ドアが開いて不機嫌な表情のモルダーが部屋に入ってきた。ミノリという珍客の存在を気にもしていないのか、椅子の上に乗せられたバッグを机の上に乗せて、自分が椅子に座り、大仰なため息をついた。そして、机の上のすっかり冷めたコーヒーに手を伸ばし、言い難そうに口を開いた。

「スカリー、悪い知らせだ」
「例のあの子が脱獄したんですってね」
「知っていたのか」

 目を丸くしたモルダーの視線をはぐらかすように、スカリーはミノリを見る。カップのふちに唇を当てて中身を覚ましていたミノリは、思い出したように

「お腹すいた」

 と、口を開く。あまりにも緊張感の無い一言に、スカリーは額を押さえた。

「悪いけれど、お昼はもう少し我慢するか、自分で何とかして」
「もう出て行ったよ、スカリー」

 肩をすくめるモルダーの背後で、ゆっくりとドアが閉まった。そのドアの向こうから、今更思い出したというように、

「モスに行ってくるー」

 と、ミノリののんびりとした声が聞こえ、続いて足音が遠ざかっていった。
 ミノリは、鼻歌を歌いながら(君僕)、FBI本部を出る。モスバーガーへ行く道を遠回りして、人通りの無い狭い道へと入った。

「やっぱりいたね、ゾンビmジャンク……」
「止めてくれよ」

 口の中で呟いただけの言葉に、撃てば返すとばかりに不機嫌そうな声が答える。
 振り向くと、コウヤが立っていた。右腕に包帯を巻き、肩から吊っている。太腿の怪我をかばうように、松葉杖を付いていた。やはり、黒いベルベットのドレスを着ている。

「あ、化粧して無い」
「そんな暇無かったよ」
「そう、なんにしろ、あんなに真っ赤な口紅は、どうかと思うけどね」

 ミノリの言葉に、コウヤは小さく笑った。

「女は、紅を引いて戦うものだ。それに習っただけだよ」
「それがコウヤさんの台詞? 化粧とかそういうの、興味ない人だと思ってたのに」
「は…まあね」

 なぜか、コウヤはミノリから目を逸らした。ミノリは、その視線の意味を深く探ることは止めて、別の話題を振った。

「逃げ出して、どうするの? 雇い主に殺されるんじゃない?」

 ミノリは、左手の親指を喉に当て、横に引いた。コウヤは、その様子に「HA!」と小さく笑った。撃たれたときと、同じ笑い方だ。

「逃げ切って見せるよ。俺の腕は世界中で引く手数多だ」
「その確信を、あの時信じられなかった」

 ミノリが、ポツリと呟くと、コウヤは小さく口の中で笑った。ミノリも、つられて笑った。

「違うよ、ミノリさんは波乱万丈を嫌がっただけだ。安寧で平穏な、植物のような人生を終わることを善しとしたんだ。俺は単に、一番楽そうな道を選んだだけ」
「楽…。そう、今の私たちの特性を生かすなら、楽かもしれない。それが、あの時は分からなかった」

 ミノリはそこで言葉を区切り、互いに互いを見合った。

「分からなかった、じゃ無い。ミノリさんは分かっていたんだ。で、私が”天網恢恢疎にしてもらさず”って言葉を信じなくなる日が来ないってことも分かってた」

 ミノリがコウヤを見る目に、ほんのわずか哀れみが混じる。

「今でも、まだ?」
「今でも、まだ。でも……こんなもんだろう」
「諦めるのだけは、相変わらず早い」
「受け入れた、と言ってもらえるか? これでも、まだ大事なことは分かっているつもりさ」

 そう言うと、自由な右手でみのりに大きな分厚い封筒を渡した。

「二人に手柄を立てさせてやってくれ」

 ミノリはそれを受け取り、中を開いた。中には、レニー・アンダルソンの詳しい個人情報が書かれた書類が何枚も入っていた。

「正義漢ぶってみることが、大事なこと?」
「違う。ギブ・アンド・テイクってやつ。対価には代償がつき物だろ」 

 そう云うと、背中を向けた。

「そーゆーわけで、見逃してくれ」
「コウヤさん!」

 呼び止めるミノリに、振り向くコウヤ。

「ごめん、10ドル貸して!!」

 それまで不機嫌そうな渋面が、途端にあきれ返る。寄った眉根も開いた。

「金も無いのに買い物に出てくるなよ! 全く……あの二人の捜査官のどっちかにでも借りれば良かっただろ!」

 そう良いながら、袖の中から10ドル札を取り出す。

「もう面倒だから返さなくて良いよ。あげる」

 そう言って、ミノリの胸に押し付けると、踵を返し、松葉杖を器用に操ってさっさと立ち去ろうとした。

「返すよ!」

 ミノリが、大きな声を上げる。それにまた振り向いたコウヤは、今は自然な赤みの唇の間から舌を出して、小さく舌打ちした。

「いらねえって」
「返す!」

 そう言って、手にした10ドルを、宙に振り回した。

「何時か、きっと返すよ! けじめつかないの、嫌いだって知ってるでしょ?!」

 呆れた顔のコウヤは、途端に困ったように笑い、髪をかきあげた。照れ隠しのようだ。

「分かった、分かったよ…。それじゃ、冥土の橋渡し賃としてでも、返してくれ」

 そして、完全に背中を向けた。ミノリは、しばらくその背中を見送っていた。

「さよなら、コウヤさん」


 30分ほどして、ミノリがXファイル課に戻ってきた。モルダーにコウヤから預かった封筒を押し付けて、モスバーガーの袋を開ける。

「これ、何だい?」
「さっきコウヤさんからもらったのー」

 その言葉に、咄嗟に腰を浮かすスカリー。しかし、ミノリは平然と

「もう逃げちゃったー」

 と、言い放った。顔を見合わせて、ため息をつく二人。

「どこに逃げても、たぶん無駄よ。もう指名手配が全国に廻っているわ」

 その言葉を本気にしていないとでも言うかのように、ミノリはバーガーに齧り付きつつ、

「日本大使の力で何とか!」

 と、力強くガッツポーズをして見せた。

「ミノリ……、日本大使にそこまでの権限は無いわよ」

 呆れ顔のスカリーに、ミノリは笑顔を見せた。

「これくらいのことでつかまるようじゃ、ナカツカコウヤはアサシンとしてやってけないって!」



 それから二日後、ヒースロー空港。
 アジア系の家族連れが、中国へと出発する飛行機の手続きをしている。

「はい、結構ですよ。では、あちらのゲートへお進みください」

 初老に近い一組の夫婦。そして、その娘と思しき黒髪の……。


「パパ、早く早く! 上海が待ち遠しいわ」
「シュウコ、パパを置いていかないで。さ、あなた」
「あんなに楽しみにしていたんだ、多少はしゃぐのは仕方が無いさ」

 軽い足取りで先を行く娘のあとを、夫婦がゆっくりとついていく。その父親と思われる男に、観光客が一人、軽く肩をぶつけた。

「Excuse me!」

 彼はそのまま歩み去っていったが、電池が切れたように初老の男はその場に立ち止まる。

「あなた?」
「パパ!」

 妻がその肩に手をかけるよりも先に、黒髪を翻して娘が男に走り寄る。その腕を取ると同時に、さり気なく襟元へ手を伸ばし、剥がれた札をまた押し込んだ。

「パパ、疲れたの? ぼーっとして……」
「……ああ、そうだね。すまない、ショウコ。さあ、行こうか」


 男に促され、娘は再びベルベットのドレスの裾を翻して歩き出す。一瞬背後を振り返り、虹色の油膜が瞳を覆ったが、直ぐに茶色の瞳に戻り、夜のフライトへと旅立っていった。





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2006.9.10

中原さん中原さん!!
Tバックじゃちょっと意味違うよティー・バッグだよ!!!(笑)
(手入れしてたら見つけた)


またまたもらっちゃいました。
内輪ネタと京極ネタとX-FILEネタが入り乱れてますね!!w
混沌としてます。だがそれがいいwww

中原さんありがとでーす!!!!


長いのに切らなくてすみませんー!!!