<ある一つの実験的ファンタジア>




 お濠は深緑色の水草にその色を奪われたように、どこを見ても汚いようなどす黒い緑色の水を湛えている。だが、その上に淡い色の、どうかすると純白にも見えるような桜の花弁が、ひらひらと果てることなく積もっているのは、その色の対比も相まって、なるほど奇妙に美しく見えるのだった。
 桜は満開のころを過ぎ、いっそ潔い散り方を見せている。

 私達の通う学校から近場にある桜の名所、山形の城跡地公園の、濠の上を渡る橋の上で、私達は温い陽気に身を晒している。

「時期が、遅かったかな」

 私はそう低く呟いたが、隣で欄干にもたれる友人は聞いているのかいないのかいっそわからないような表情で、水面を凝視している。

「もう、すっかり散ってしまうよ」
「でもねえ、中原さん」

 中山みのり嬢は、何かしら不満げな息を見せつつ、眠そうに水面を見ている。

「桜は散ればこそって、まあ引っ張ってきたのは君じゃないか」
「引っ張られるとは思わなかったんですよ、みのりさんが」
「いや、だってそれは」

 しばらくして、大儀そうにみのり嬢は口を開く。

「中原さんがサークルのお花見に行かなかったって聞いたから、お義理で付き合ってあげようか、とね」
「それはそれは」

 春の午後は人を無口にさせるのか、二人ともそう言ったっきり、後は唖のように黙りこくってしまった。中山みのり嬢の見つめる水面には、カルガモの親子が水を切るように泳いでいる。
 私はみのり嬢に習い、欄干にもたれてぼんやりと行きかう電車の流れと、水面に降り積もる桜の堆積を眺めることにした。雲はいよいよ少なく、空色の絵の具を一面に引いたような、まったく可笑しくなるくらいに良い天気である。

「空の色だけは」
「はい?」
「昔から変わらないと考えると、なんだかノスタルジアを感じるような気分だな」
「そうか?」

 みのり嬢は私と反対方向を向いて空の彼方に指先を伸ばした。

「きっと、空の色も少しずつ変わっているんだよ」
「その指先の彼方に、見えるのか?」
「見えるかな」
「見えるだろうよ」
「見るなら、指先の未来にって感じもするけどね、中原さん」

 他愛ない会話を楽しむような、緩やかなけだるい時間を無為に過ごしている。と、不意に足元に長く伸びてきた影に、はっとしたようにみのり嬢は、伸ばした指先を引っ込めた。
 そこに現れたのは、一組の男女だった。どちらも目が覚めるほどに美しい、まずお目にかからないタイプの美男美女である。

 男のほうは、明らかに欧米人だが、白い肌と彫りの深いギリシャ彫刻のような美貌の中に、静かに潜むオリエンタルな雰囲気を漂わせている。ウエーブした長い髪が、甘いマスクと非常に良く似合っている。二メートルはあろうかという長身と、頑健で健康的な体躯が、その美貌の、どうかすると冷めた虚弱さのようにもとられかねない印象を緩めている。

 一言二言、男が隣の女性に英語で囁きかけると、彼女は二つほど、うんうんと頷いた。大きな眼に吸い込まれそうな輝きを湛え、白い肌に女性的な赤みのさした頬や唇が、なんとも鮮やかである。驚くほどまっすぐな黒髪が、濡れたような輝きで春の日差しを反射させている。何よりもはっとしたのは、日本人であろうその顔の造作の中に、異様なほどに鮮やかな翡翠色の左瞳を見たからである。

 一瞬のうちにそれだけを見て取ると、私とみのり嬢はすぐさま二人から顔を背けた。

 なにやら、見てはならぬものを見ているような、犯しがたい雰囲気を二人ともこちらが耐えられぬほどに放っているのである。

 視界の端で、二人が仲良く寄り添って公園に去っていくのを見て取ってから、二人は顔を見合わせて、ほっと嘆息しあった。

「・・・見た?」
「あまり、まじまじとは」
「だよねー」

 二人はそれだけ言い合って、二人の軌跡に視線を向けた。

「・・・今度は、夜に来るといいよ」
「お花見で?」
「いや、このお濠がな、あそこの」

 と、私は濠の岸となっている斜面に植えられている桜の木々を指差す。

「桜をライトアップするだろう、すると、このお濠の水面が鏡のように、あの桜全部を反射するんだよ」
「へえ」
「すると、水の中とこちらの世界で、同じ桜が咲いているようで、なんとも」
「ノスタルジア?」
「いや、ファンタスティックだ」
「ファンタスティック」

 みのり嬢は、そう言いながら御門の方へ向けた視線をそらそうとしない。私もその視線の先を追いながら、一つの情景を思い描く。そうすると、どうしてもそれを確かめたくて、みのり嬢へと口を向けた。

「中に、公園に入ろうよ。みのりさん」
「そう?なぜ?」
「まあ、やろうとしていることは低俗だがね。そのファンタスティック、あの二人で見てみよう」
「なんとも、趣味が悪いんじゃないか?」
「いや、非常にいい趣味だと思いますよ」

 そろそろ時期はずれとなった黒いコートの裾を払いながら、いたずらをけしかけるように、私は小声で呟いた。

「やっぱり、時期は遅くなんか無いね。桜吹雪の下の麗人二人、見物と行こうじゃありませんか」
 肩に届く程度の、軽い柔らかな髪を、やがて吹いてきた風に静かになびかせながら、みのり嬢はいたずらをした後のように笑った。

「うん、いい趣味だね」
「じゃ、行きますか」
「あいやさー」

 そうして、私達は橋上の人から御門をくぐり、日常に降って沸いた素晴らしい出来事を追ったのだった。
 あまりにも現実離れしたような、あまりにも穏やかな陽気の、散り行く桜もそれはそれは美しい、春の日のことだった。
 
 


お友達の中原耕治さんからメッセで頂きました(笑)
舞台は山形市内の人ならきっと一度は訪れたことのある花見の名所の霞城公園です!(ローカル)
横溝さんの小説に感化されたとか。
どうもありがとう!!!

2005.10.26


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